突然ですが、有権者のみなさん。選挙は行っていますか?安心してください。今日も食べものの話ですよ。
私は、よっぽど都合がつかない限り選挙に行っています。とはいえ、今は期日前もあるからね、都合付かないっていったらよっぽどなんですけどね。
でも、正直苦手です。
選挙前は、いちおう各政党のマニフェストに目を通したり、自分の考えと合う政党を調べてみたりしますが、あくまで付け焼刃のようなものです。本当は、選挙前の公約だけではなく、日々まじめに取り組んでいる議員(議員候補者)さんの仕事ぶりや姿勢から選ぶべきだよなあ…と感じます。
え?どうしてこれが食べものの話に繋がるかって?
元ネタは、おそらく本なのですが(思い出したら追記します…)、私にとって発見であり確信であり、感動でもあったフレーズがあったんですね。
それが「私たちは1日3回食べ物に投票できる」というもの。
議員さんは任期がありますからね、数年に1回選挙して決めますよね。国(行政)の舵取りを誰に任せるかを決める選挙、それはダイレクトに私たちの生活に影響してきます。だから、本来であれば冒頭でも書いたとおり、しっかり自分でよく見聞きして、調べて、代表者を選ばなければならないものです。
しかし、なかには《選挙》や《政治》という単語を聞いただけで、難しいものだと苦手意識を持ってしまう人も少なくないと思います。特に若い世代は多いでしょうね。私も、なるべく積極的に!と思いながらも、どうしてもこの手の話になると構えてしまいます。
ところが、実は私たちは毎日、あらゆるものに《投票》しているんです。
その一つが《食べもの》です。さっき、「1日3回」と書きましたが、これはまあ表現としてであって、本当は多くの人が食べものに対して、1日に何回も投票していると思います。
どういうことかって?
たとえば、あなたはトマトが欲しい。買い物に行くと、①見た目も価格も平均的なもの、②見た目が悪く安いもの、③鮮度が落ち値下げされたもの、④栽培にこだわったやや高価なもの、⑤地元産のもの、のように、数種類の選択肢がありました。
あなたは、何を基準にトマトを選びますか?
これは、あなたの状況にもよりますね。買い物の予算や、トマトをいつ料理に使うか、その料理は何か、誰が食べるか等々、基準となる条件は毎回違うかもしれません。でもあなたはそのたびに、数ある中からトマトを選ばなければならない。
臨機応変がきく条件もあるかもしれないし、絶対譲れない条件もあるかもしれない。だからあなたはその範囲内でトマトを選ぶ。
これは、まさにトマト総選挙。スーパーに並ぶ数種類の選択肢の中から、選ぶんだから!
え、だからなにかって?
そうですね。端的に言います。私は、この「食べ物に投票している」というフレーズの何に感動したかって、この考え方で、単なる《消費》であった買い物が《投票》という行為に変化したということ!
私は、この毎日の小さな投票の積み重ねで、世界を変えられるかも!とまで思っちゃいました。いや、実は進行形で今も思っています。
たとえば、農薬や化学肥料、育て方なんて関係ないからとにかく安いものが欲しい!という基準で買い物をする人と、少々高くても納得できる環境や条件で生産されているものが欲しい!という基準で買い物をする人がいますね。
どちらの基準もあっていいと思います。どちらにも需要はあります。しかし、社会というのは需要が大きいほうの商品が多く流通するようになっています。だって売れるから。
だから、今は食べ物に限らず「とにかく低価格!」が、世の中(というか日本)の大きな流れです。
では仮に、多くの人が、納得できる環境や安心できる条件で生産されたものを求めるようになったとします。もしそうなったとしたら、世の中に出回る商品が変わります。需要が逆転すれば供給もついてきます。
国(行政)の選挙が、《私たちの生活にダイレクトに影響する》と言いました。では、食べ物だったらどうでしょう?それは《私たちの身体にダイレクトに影響する》投票です。
あなたが暮らしたいのはどんな世の中?あなたが食べたいのは、そして次世代の人たちに食べさせたいのはどんな食べもの?
脅すつもりじゃなくてね。ただの《消費》と思えた買い物も、《投票》と思うと、自分のお金の価値、使い方の意義、なにを選ぶか、どんな食べものを作っている人を応援したいか、っていろんな見方が出来て、お金の使い方まで変わっちゃうかも!?と思うんです。
私たちは、議員を選ぶ選挙だけでなく、毎日の選択でも世の中を作っていけるし、自分たちの暮らしも築いていけるんだってことを、忘れないで欲しいと思っています。
おしまい。
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[…] ひとつの投票のかたちと思ってます。【私たちは毎日、投票しながら生きている。】 […]