カナダ物語③野菜編

スポンサーリンク

私がいたのはオーガニックファーム。農薬は使わず、化成肥料も使っていませんでした。そこには、何百種類もの野菜や果樹が植えられていました。

 

カナダ物語①はこちら

カナダ物語②動物編はこちら

――――――――――

 

暖かい季節、毎日、動物たちのお世話をしたあと、主にすることは草取りと収穫。

除草剤を使わない。だから畑はいつも草との戦い。

私はいつも「フルーツを採るのと草取りと、どっちがいい?」と聞かれると「草取り!」と答えていたので、我慢して遠慮する子だと思われていたらしい。

いつも「いいのよ?素直にやりたい方を選んでいいのよ?」って言われてたけど、私は単純に、クモの巣をかきわけ木の実をもぐよりも、草取りが好きなだけだった。

 

朝夕の涼しい時間は、野菜やハーブの収穫。野菜はバケツいっぱいに詰め込んだ。

トマトだけでも10種類以上あり、赤や黄色、黒いもの、色とりどり、形も大きさも様々なものを、混ざらないように分けて採る。

採りながらも、小腹が空いたら味見して、まさに直前まで栄養をぐんぐん受けてた実のジューシーさが口いっぱいに弾けた。

ハーブも、少なく見積もって50種類以上はあった。

同じミントでも、ペパーミント、スペアミント、アップルミント、バナナミント、チョコミント、パイナップルミント、レモンミント…

ミントの香りはしっかりするのに、それぞれ微妙に味や香りが違う。

フルーツも色々。プラムに桃、小さなりんごにさくらんぼ、カシスや様々なベリーたち。

フルーツを無農薬で育てる難しさはわからないのだけれど、どれも綺麗でとても甘い。なにより香りがとても濃いのだった。

 

ジリジリと暑い日は、時々、服を着たまま外のプールに飛び込む。太陽が反射してキラキラ光る水面に溶けて、皮膚からじんわり身体が冷えてきたら、ずぶ濡れのまま再び畑へ。

それでも太陽に照らされて、服はあっという間に乾いてしまう。

さらに暑くなれば、濡らした手拭いを首に巻く。タオルではなく、手拭い。ジャパニーズ手拭い。

以前ここにいた日本人が置いて行ったものらしいが、よく水を吸うのに絞ればビショビショにならない手拭いが一番ちょうどいいのだとカナダ人に教えられた。

 

同じ時期、一緒に生活していたアメリカ人の夫婦には1歳にもならない赤ん坊がいた。彼らは畑に出るとき、しょっちゅう子どもを連れて行った。

彼らは子どもをカゴにいれておくわけでもなく、近くに座らせておくだけ。もちろん子どもは興味にまかせて、動いたり、土や草に触りたがる。虫だって怖くない。

それでも両親は、赤ん坊に目をやりながらも、その行動に過剰に反応はしない。何か良くないものを食べそうになった時だけ、強く「NO!!」と言った。

 

冬は畑には野菜がない。秋に収穫したイモ類はあるものの、葉ものや、他の野菜はすっかり枯れている。

にもかかわらず、もらいものの野菜の傷んだ部分をカットして調理することもあったし、保存用として作っておいた塩漬けやピクルスを食べていたので野菜不足は感じなかった。

それでも、こんな生活をしていれば、自然と旬を感じたし、保存食のありがたさも感じた。

現代で保存食というのは、「なるべく日持ちさせるため」や「大量にある食材を無駄にしないため」という目的で作られているように感じていたが、本来は、「厳しい季節を食いつないで生き抜くため」に先人たちが命懸けで考え出したものだということを体感した。

ピクルスや塩漬け、果物のジャムはどれも味が濃いけれど、生野菜に乏しい時期には、パリッとした食感や果物の柔らかい酸味がとても嬉しく、美味しかった。

 

野菜の管理は、大雑把なようで、徹底していた。

畑の肥料は、手作りのもの。林から集めてきた落ち葉と、動物たちのふんや、くず野菜の一部などを混ぜて発酵・熟成させたもの。

虫除けスプレーは使ってもいいけど畑から離れたところでかけること。日焼け止めは塗っていいけど、そのまま野菜を触らないこと。どちらも最初に注意するように言われたことだった。

オーガニックとは、流行りでもなんでもない。

これだけ様々な選択肢がある現代で、「こういう食べ物を食べたい」と願う人たちのニーズに応えるためには、それなりの厳しさが必要になる。

たとえば、小麦や卵などのアレルギーがある人にとっては、それらが使用されてない食品は本当にありがたい。

だからこそ、そこに、少しも油断があってはならない。中途半端な知識と作業では、対アレルギー食品もオーガニックもできないのである。オーガニック風ならそこらへんに溢れているけどね。

――――――――――

木の実は鳥や虫たちとシェアするもの。野菜も果物も何個かは食べられたっていい。すべて人間がひとつ残らず独り占めしようとすると、もうそれだけで不自然が始まる。

それが、私が畑に出ながら感じたこと。

虫や鳥や動物たちとどんなに激しく食糧戦争をしたって、嵐や雨で一気にパーになることもある。それが自然。

でも、だからこそ成長の過程は楽しく、収穫の喜びは大きい。

食べるものが収穫できる、手に入るというのは、本来それだけで幸運なことなんだ。それだけで、一回の食事がとても幸せなものに思えてくる。

他人と争うことなく、自分のための一食が目の前にあるとしたら、それを味わいながら食べられるとしたら、それは、本当はものすごいラッキーで幸せなことなのだ。

《私たちは、食べ物を作っているのではなく、分けてもらっているのだという感覚を忘れてないだろうか。》

植物を育てるのは、人ではない。土なのだ。

ツヤツヤとした野菜や果物を採りながら、そんなことを感じていた。

つづく。

コメント

タイトルとURLをコピーしました