今朝は、思いもよらなかった、というか意外な発見があった。
基本的にあまりテレビを観ない人間だけど、昨日は、きっとどの局も東日本大震災関連の番組でもちきりだろうと予測がついていた。
とはいえ、テレビをつけることもなく、ただ日常をありがたく平穏にすごしていた。
震災に関する番組を避けているつもりはない。
テレビは、録画している番組か動画配信でドラマやアニメを観るくらいしかつけない。
つまり地上波でリアルタイムの番組を観ることはほとんどない。
今朝、YouTubeでなにか新しい動画出たかなとチェックしたら、やはりタイムリーなのか、東日本大震災関連の動画がオススメ欄的な場所に出てきた。
それは、火葬場が機能せず、墓地も満員で、土葬という形で仮埋葬しなければならなかった実情の特集だった。
もし興味があれば見てほしいけど、少なからず痛みを伴うだろうから気を付けてくださいね。
土葬といっても、あくまで「仮」なので、いずれきちんと埋葬することになる。
そこで数カ月たってから葬儀屋さんやご遺族が、棺に入っているとはいえ一度土に埋めたご遺体を一体一体掘り返し、決して状態がいいとはいえない身体を清め、新しい棺に移し替える作業が必要になった。
それは夏までかかり、倒れそうな暑さと強烈なにおいのなかでの重労働は、肉体的にも精神的にも間違いなくキツかっただろう。
ああ、そうか。こういうこともあったんだね。そうだよね。
この10年、ことあるごとに震災に絡めた番組や特集が組まれてきたけれど、避難所や被災地での性被害のように、ご遺体の扱い方というのもまた報じられないリアルだったんだ。
生きること、生き延びることが最重要項目で、とにかく必死だったから、そのために隠したり、タブーにしたり、我慢しなければならなかったことはいくつもあったんだ。
それから、地震がおきて、津波が来るからと非難して、高台から街が一気に津波に飲まれていく動画をみた。
驚くことに泣いてしまった。ボロボロと。え、泣くの?私。
そして、あの日を思い出しながら気付いたことがあった。
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私、津波直後、大学で、発生時の生放送みていたんだ。
生放送だからもちろん編集とかされていなくて、同じ部屋にいた生徒たちが「え、いま人いたよね…?」「あ、走ってた車流された…」と話しているのを聞きながら、確かに私も、いまでは絶対に放送されないであろう映像をみた。
それは覚えている。その光景も覚えている。
大学から帰れなくなった人たちが、すでに大学から支給された非常用毛布にくるまっていた。
たぶんあの日は泊まれた気がする。
私はしばらく映像をみて、それから、一緒にいた友人たちとごはんを食べに行った。
その時一緒にいた友人はみんな関東出身、私だけが地方、さらに東北出身だった。
友人はみんな「大丈夫?」「親に連絡したら?」とものすごく心配してくれたけど、私は「いや、家の家族は大丈夫」と、メールすら送らなかった。
実際地震の被害やインフラの被害はあったけど、岩手の家族も宮城の兄家族も全員無事だった。
そして、今朝、津波の映像をみながらボロボロ泣いて気付いた。
あの日、私は確かに津波直後の映像をみたけれど、その映像の記憶がポッカリ無い。
地震発生から大学での避難の様子、ごはん屋さんに行くまで、映像以外の光景はよく覚えているのに、当時強烈に印象に残っていたはずの津波の映像の記憶だけはすっかり無いのだ。
たぶん、消したんだ。
自分の心を守るために、自分でも気づかないうちに、そこだけキレイに切り取って丁寧に消されていた。
それが、10年の時を経て、気づかされたこと。
親に連絡をしなかったのも、しなかったというより出来なかったのかもしれない。
返事を待つのがつらいから。
あの時、私は東京にいて、自宅にも帰れて、電気も水道も使えて、なんなら帰れなくなった友だちを泊められるくらい大丈夫だった。
でも、地元の人たちが、苦労していること、傷ついていること、怒りを感じていること、いろんな情報が入ってきた。
「私は私にできることを」と思いながら、ボランティアなり支援物資調達なりをしたけれど、それでも地元を思えば思うほど、いや、どんなに思っても、私は外側の人間なんだなと思い知った。
いまなら当時の自分に、「そりゃ当たり前のことだしどうしようもないんだから、やれることはやってたしいいじゃんか」と言ってあげられるけど、当時は、たぶんすごく心がナイーブだったんだと思う。
地元になにか出来ないかと思っても、「でも普通に暮らせているんでしょ?」「困ってないんでしょ?」「そっちはいいよね」というニュアンスを感じてしまっていた。
いや、正直友人ではないけど言われたこともある。
そんなこと思っていない人ももちろんいたと思うけど、今思えばあれはしんどかった。
でも、私自身も「私のしんどさとか被災地に比べたら」って思ってた。
もちろん実際そうだと思う。大切な人も失くしていないし、生活にも困っていなかった。
厳密に言えば東京も揺れたし、停電も起こったし、帰宅難民も多数いたので被災地ではあったんだけど、まあそれはおいておいてね。
でも、あの日私はショックを受けていたし、その後も力になりたくてもうまくやれず、結局私は普通に暮らせているもんなという、ある種の罪悪感みたいなものもあったんだ。
私は被災していないから、震災のことを語る資格はない。
ずっと思いを馳せながらも、ボランティアに参加した時でさえ、気持ちを寄り添えようとするたびに「でも被災していない私に何がわかるの?」と、当時は無自覚だったけど自虐していた。
私が傷つく資格はない。ツライわけがない。だって被災していないんだもん。
だから、あの時のしんどさをずっと無視し続けてきた。
私は、自分を守るために記憶を消して、震災に関する痛みを無視していた。
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私が言いたいのは「ねえ私も大変だったんだよ?わかって?」みたいなことじゃないよ。
全然わからなくて結構。私がわかったから、気付けたからもう大丈夫。
だけど、他にもいるかもしれないと思ったんだ。てゆうか、いるよね。
被災していないけど、ひどく傷ついたりショックを受けたのに、被災していないからそれを口にするのもためらわれて耐えてきた人も。
もちろん被災地の復興や発展も大切だけど、でも、被災地じゃなくても傷ついた人がいるならそれにちゃんと気付いてほしい。
それくらい大きな震災だったんだよ。傷ついてよかったんだよ。
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震災当時の被災地での出来事が、「○○の奇跡」とか「○○の悲劇」とタイトル付けられることが多々ある。
それらは確かにドラマチックで多くの人の心を動かすエピソードなので、話題にもなる。
でも、実際は、ドラマチックなんてポップな響きも似合わない。
誰かの地道で褒められもされない努力、悲しみや痛みを堪えながらの作業、行き場のないドロッとした苦しみ、誰にも話せない後悔、受け入れることが出来ない自分の弱さ、自分しか知らない我慢…
番組に使用にも、本にしようにも、どうにも重くてパッとしなくてどんよりとした出来事がたくさんあったはずだ。
「絆」「助け合い」「思いやり」って言葉をスローガンとして与えられていたって、実のところ、騙されたり奪い合ったり、妬んだり傷つけられたり、必死な人間たちが集まっていれば当然起こりうる殺伐とした現実だってそこにはあったはずなんだ。
それ以前に、誰もが一瞬にして街と人と思い出が消える体験をしているんだ。
10年で癒えるようなものではないよね。全然。
時間でも解決できないこともきっとある。
戦争の話を死ぬまでしたがらなかった人だって大勢いるんだもの。
でもそれでも10年やってきた人たちがいる。それが事実。生きてきた証だ。
私は被災していないし、避難所生活もしていないけれど、想像する力はある。聞いて学ぶ力もある。
自分も含めだれがいつどこで被災するかもわからない世の中だけれど、私は前よりも自分とちゃんと向き合って、誰かの力になれるだろうか。
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