スマホで写真も動画も撮るのが当たり前になって、さらにそれをネットにアップロードするのも当たり前になった。
ほんの10年前ですら、デジカメが主流だった。
スマホは登場していたけれど、まだ今ほど画質も良くなくて、シェアする手段もそこまで発達していなかった。
写真をインターネットに載せるようになったことから、一度あげてしまったら二度と取り消せないものになりつつある。
昔は、写真やネガを切り刻んだり燃やしてしまえばどうにかなったものが、いまは難しい。
(ってか若い世代にネガって通じるのかな)
それがいいか悪いかはそれぞれ一長一短だし、どっちかといえばやっぱり気軽にシャアもできる今のほうが便利だと思う。
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カメラ時代の写真はほとんどがシェアされることなく、それぞれの記録媒体に残されているだけだ。
もう自分の記憶にもない人たちと、記憶にもない出来事が写真には残されていることだってある。
黒歴史ならまだ歴史に刻まれているけれど、問題は歴史から抹消されているような出来事たちだ。
そういうと、なんだか悪の組織との過去のつながりバリの大げさ感が出ちゃうけど、もっと小さく、「果たしてどうして私はこの日に名前も思い出せないこの人とこんな風に写真を撮っているんだろう」的なやつだ。
結論として、わからなくてもその後の人生になんら影響はないのだけど、私もそういう「誰だこれ」な存在として誰かの写真に残り続けているのかもしれないと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。
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100%で生きてきたって、後から思い出すのは50%にも満たないのかもしれない。
もしかしたら、実際は20%くらいで、その20%すら自分では50%のつもりになっているのかも。
だからといって、その思い出にならない日々が無駄なのかというとそんなこともなく。
大きな出来事として残っていない、とある日のささいなワンシーンが突然蘇ることもある。
映画だったか、本だったか。
「人間は、一度会ったことは忘れない。思い出せないだけで。」
みたいなセリフがあったな。これ、すごくよかった。
何がよかったかと言われると難しいけど、忘れることも思い出せないことも、寂しいけれど悲しくはないのかもなと思えた。
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忘れられないことは、写真がなくたって忘れられないし。
思い出せなくなるかもしれないけど、決して忘れるわけではないんだと思って、平凡でも単調でも、100%の姿勢で挑むのが、私は好きだ。
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