空に、もてあそばれることを楽しんでみる。

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梅雨らしく、不安定な空模様が続くようになったこの頃。
今日も、ボタボタと大粒の雨が降ってきたかと思えば、パタッと止んで、太陽の光がギラギラさし込んでくる。

この時期の天気は本当に読めない。
どんなにキャリアのある気象予報士だって、この時期の天気を予測するのは至難の業だと思う。
でも、予測が難しいからこそ、天気予報をあてにしたくなるというもの。そういうもの。

畑仕事をしていると、ベテランのおじいちゃまたちが
「天気予報はあてにならない」「天気予報が外れてばかりだ」
と、口々にする。

もし気象予報士の方がこれを読んでいたら、くれぐれも気を落とさないでほしい。

彼らのそういう会話は、ある種の「定型文」であり、会話の「遊び」の部分のようなものだ。
本当に腹を立てている人などいない。

今日は、大豆の種まき(豆まき?)をしていたのだけれど、朝から降ったりやんだりを繰り返し、土も濡れてきてしまったので、午後は解散となった。

農業あるあると言ってもいいかもしれないが、そうして思い切って作業を止めたとたんに雨が降らなくなることがある。
「あー、冷やかされているな。」と思う。空に遊ばれている。

こうして外で働いていると、天気の影響と言うのはとても大きい。
というか、それが仕事内容を左右するくらい、天気は重要だ。

もっといえば、作業内容はもちろんのこと、着ていく服や、持っていく飲み物の温度や量、お弁当に保冷剤を入れるかどうか、日焼け止めの種類まで変わってくる。

暑い日はタオルが必要だし、寒い日はカイロを貼ることもある。
仕事中に雨にあたるかもしれないという時は、それなりの準備をして仕事に入る。

それらは、すべて天気予報の情報をもとにしている。

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農業を始めてから、天気予報を本当によく見るようになった。

それまでは、当日の天気、せいぜい明日の天気くらいしかチェックしなかったけれど、今は基本的に一週間予報から追うようにチェックしている。

テレビの天気予報の時間帯はだいたい決まっているので、普段テレビはほとんど見なくても、天気予報はチェックする。

スマホのアプリも2種類いれてるし、天候が重要なシーズンは3~4社の天気予報と、雨雲レーダーなどもチェックする。

それでも、「これが絶対当たる」というものはないし、どれも外れる時もある。
天気予報は、あくまで目安なのだ。

これをついつい忘れて、天気予報が外れたことに腹を立てている人がいるけれど、そこまで天気予報を信じてこれた人生をむしろ幸せに思った方がいい。

こんなことを言うと、天気予報をバカにしていると思われるかもしれないけど、それは誤解だ。

天気予報によって、私たちはある程度、計画が立てられるようになった。
これは本当にすごいことだ。

おかげで、着ていく服を大きく間違えたり、飲み物が足りなくなって干される思いをしたりしなくて済んでいる。
降水確率100%だと、安心して洗濯物が干せる。それだけで嬉しい。

当たり前になりすぎているけど、天気予報ってありがたい。
人って外れた時しか気にならないから文句を言いがちだけど、実際のところ、天気予報はよく予測できている。
それは、外にいるから余計に感じることが出来ているのかもしれない。

――――――でも、時々。

天気予報をまったく見なかったら、天気予報がまったくなくなったら、どんな暮らしになるんだろうと考える。

もちろん、雲の動きなどで少し先の天気は予測できるかもしれない。でも、明日の午後の天気、明後日の天気まで、予報できる気がしない。

これが都会だったらどうだろう。山にかかる雨雲や、雲が流れる速さが見えにくい場所だったら。

突然の雨や、前日とは比べ物にならない急激な猛暑、ものすごい速度の台風が迫ってきて、突風と共に雷雨がやってきたら。
いつも通り朝起きたら、見たこともないくらい雪が積もっているかもしれない。

そんな世界だったら。

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うん、愉快だ。非常に愉快である。

そりゃあ、もちろん、苛立つだろう。
お気に入りの服を濡らしたり、気軽に洗えない服が汗でぐっしょりしたり、セットした髪の毛も乱れて、買ったばかりの靴もひどく汚れるかもしれない。

事前にわかってたら、備えられたのに。それなりに準備できていたのに。

でも、なんか、愉快だ。

突然の雨に、そこにいる人がみんな空を見上げて、「うわ」って顔して、走りだす人、折り畳み傘さす人、フードを被る人、雨宿りできる軒先を探す人、予定外だけど近くのカフェに入る人、ちっとも動じない人。

もちろん天気予報があっても見られる光景ではあるのだけど、こういうのって、楽しい。
人間の、空にもてあそばれている感じが、可愛らしくてすごくいい。
所詮、自然に勝つことなんてできないのだから、もっと対抗しようとしないで、遊ばれちゃってもいいのにな。

同じ時間に、うっかり通り雨にあたってしまったもの同士の、妙な一体感が好きだ。
話もしなければ、目も合わないけれど、その場に居合わせた、あちゃーという瞬間の共有。

偶然、同じ場所で雨宿りをしたもの同士の、「雨ですね」「ええ、雨ですねぇ」という会話を妄想するだけで愛しい。

自然に振り回されるのは、いいことばかりではないかもしれないけど、でも、悪くない。
わたしは、好きだ。

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