隣の家の赤ちゃんの泣き声が、夜になるとよく聞こえるから、私はやさしい社会がもっと欲しくなった。

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田舎では珍しく、我が家は賃貸暮らしなので、各世帯が壁を挟んで並んでいる。

ご近所さんとは顔を合わせれば挨拶するくらいだけど、隣の奥さんとは、雪かきをするタイミングが被ることも多くて、ちょこちょこっと話すこともあった。

にもかかわらず全然気が付かなかったんだけど、いつのまにか赤ちゃんが生まれていた。

気付いたのは夫。車から赤ちゃんを抱っこして下りてくる奥さんを見かけたらしい。

普段、階段を激しく上り下りしたり、壁になにかがぶつかったりする音は聞こえるものの、それ以外の生活音はほどんど気にならないレベルだったので、
「赤ちゃんいても気づかないくらい泣き声も聞こえないもんなんだな~ほえ~」と思っていた。

その後、なんかのタイミングで奥さんに会ったので、
「赤ちゃん生まれたんですね!おめでとうございます!」って言ったら、
「あ、うるさいですよね、ごめんなさい!」って言われて
「いやそれが、全然何も聞こえなくて、正直お見かけするまで気づきませんでした。だから大丈夫ですよ!」と答えた。

それからどれくらい経ったかな?3か月?半年は経っていないよな?

1ヵ月前から、夜、ベッドに入ると、隣の家からかすかに赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるようになった。

「あ、聞こえた。」

そして段々と、最近ではもう少し大きめの泣き声が聞こえるようになった。

でも全然、うるさいレベルではない。
夜静かになって、ベッドに入るとようやく聞こえてくる程度。

子どもの泣き声って、ご近所トラブルになりやすいって聞くから、たぶんこれくらいでもイライラする人はいるんだろうな~なんてぼんやり思う。

でも、初めて隣の家から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたとき、私は嬉しかった。

嬉しかったし、「ああ、お母さんもお父さんも戸惑っているかな、焦っているかな、疲れていないかな」なんて気にもなった。

だんだん聞こえてくる声が大きくなると、私はもう少し嬉しくなった。

だって、生まれたころは本当に聞こえなかったんだよ。赤ちゃんがいるって気付かないくらい。

でも、この頃ははっきりわかる。
だからといって最近まで泣いてなかったわけじゃないはず。

そう、成長しているのだ。

体が大きくなって、肺も大きくなって、「オギャー」と泣く声がどんどん力強くなっているんだ。

性別も名前も知らないんだけど、そうして壁の向こうから聞こえてくる泣き声に、嬉しくさせられては、励まされるような気持ちにもなる。

めっちゃ頑張って泣いているなあ。生きてんなあ。育っているなあ。

夫に「ねえ最近、隣の赤ちゃんの声聞こえない?」って聞いてみた。

「あ!聞こえるよね!最近特に!あれ、いいよねえ~」ってニコニコ答えた。
うん、やっぱりそうだよね!

でも、お隣さんにしたら、夜になるとギャン泣きするのに可愛いながらもウンザリする時もあるだろうし、いい加減泣き止んでくれよと途方に暮れているかもしれない。

前に私には「全然聞こえないですよ!」と言われたものの、我が家含めご近所にも気を遣っているかもしれない。

そうだよね。
今の時代、買い物行くにも、電車に乗るにも、外食するにも「すいません」と肩身を狭くしている親御さんを見かけるもんね。

(とはいえ、店内で走り回ったり、商品で遊んだり、騒いだりするのに親が知らんぷりしているのはまた別の気持ちを感じるのだが。)

本当、いつどこで誰にどんないちゃもんつけられるかわからないし、怖いよね。

でも、少なくとも、私は、我が家は、隣から聞こえてくる泣き声が嬉しいよ。
こっそり、一緒に成長を喜ばせてもらっているよ。

こんなこと、いちいちお隣さんに伝えるのはさすがに気持ち悪いと思うので、我が家だけの楽しみにしているけど、でも、世の中、夜泣きの声を疎ましく思う人ばかりじゃないよ!

子育てしていると、周りの目が気になって、時には悲しいことに、外に出るのが怖くなるような嫌な思いをしてしまうことがあるかもしれないけど、外には同じくらい応援してくれる人も、手を貸してくれる人も、微笑ましく見守ってくれている人もいるからね!

なんだかどんどん子育てがしづらい国になっているような気がするけど、そんな中でも子宝に恵まれて、子育てする機会と覚悟をもって育てている人たちには、常にエールを送り続けられる余裕のある社会でありたいよね。

「子持ちの~」とかって話題だと、「独身じゃダメなんですか?」「子持ちが偉いんですか?」「子どもに恵まれない人だっています!」ってカットインしてくることもあるけれど、いやいや、みんな偉いし、みんなそれぞれにしんどいし、みんな頑張ってきているよね。

その上で人の生き方やスタイル、環境を、「私はこうだけど、あなたのそれも素敵だね」って言える社会になりたい。

余裕が持てないと、どうしても「あの人の方がひいきされている!」「私は後回しだ!」って感じやすくなると思うのね。

だから、誰かをうらやんだり、比較したり、批判したりしてしまうのは、まるっきりその人の人間性や考え方のせいだけじゃない。

「自分はこれでいい。」もしくは「そりゃ理想はあるけれど、今のこの自分も受け入れられる。」と感じられるような環境にみんながいられるような社会にしたいね。

赤ちゃんの泣き声からだいぶ飛躍してしまったけど、でも、言いたいことは同じ。

「自分も素敵だし、あなたも素敵。」

子どもの泣き声や周りの人が疎ましく感じるとき、それはあなたに余裕がないからで、あなたが悪い人間になってしまったわけではない。

だから、自己嫌悪に陥る必要もないし、誰かを攻撃しても気持ちは晴れない。

他者を攻撃しても、自分が偉くなれるわけじゃないし、いい人になれるわけでもない。

ただ、じっと晴れるのを待つ必要があるかもしれないし、なにか行動に出る必要があるかもしれないけど、自分のモヤモヤを晴らすのは、自分自身に余裕を持たせてあげることでしか出来ないんじゃないかな?

だから、もし、余裕がない、人を妬んでしまう、全部にイライラする時は、偽善でいいのだから、フリでいいのだから、誰かのために動いたり、手伝ったりすることで、強制的に気持ちの余裕があるようなマインドコントロールをしてみるのも一つの方法だと思う。

正直、生きづらいな~と思うこともある。

うまくいかねえ、しんどい、まじかよ聞いてないよってこともある。

でも、寅さんがさ、「人間は何のために生きてるのかな」と聞かれて、「あー生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。人間そのために生きてんじゃねえのかな。(一部略)」って答えたセリフのように、そんな細切れの瞬間を、ガチャみたいな幸せを、拾い集めるようなもんでいんじゃないのかな~。

お隣の赤ちゃんの話から、最後に急に寅さん出てくるようなさ、なんていうか、日常なんてそんなカオスで散らかった世界にぽとんとおちているようなものなんだから、みんな気楽に生きられたらいいのにね。

こんな私の散らかったブログも、誰かの「なんかようわからんが、どうでもよくなったな!」の一因になれればこれ幸いなり。

あばよ。

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