未来の子どもたちに何を残したいのかを考えたら農業始めてブログも始めた

なんだかたいそうなタイトルをつけてしまいましたが、これは、私が農業を仕事にしている理由のひとつです。

私の友人は、子育て世代真っ只中にあり、ほんの2.3年前まで飲み歩いていたような友達のほとんどが、今は親になって頑張っています。

SNSなどに溢れかえるみんなの子どもたちの写真をみても、幸いなことに、イラつきもプレッシャーも感じないタイプなので(笑)、かなり癒されています。

親になるということで、いろいろな変化はもたらされるようで、転職したり、辞職したり、生活リズムやお金の使い方はもちろん、考え方や性格までもがガラッと変わるような人も見てきました。

そのなかでも、それまでは料理なんてほどんどしたことなかったり、苦手と感じていた人が、子どものために離乳食を用意してみたり、野菜がたくさん食べられるように工夫してみたり、一生懸命やるようになった人も多くいました。

自分だけの頃は、ファストフードやカップラーメンで済ませていたものが、子どもがいるとなるとそうはいかないと、自分たちの食べるものを子ども基準に合わせていくこともありますね。

たとえば、本当は辛口のカレーが好きだけど、子どもには食べさせられないから甘口カレーばかり食べるようになったとかね。

そんな日々の小さなことでも、子どもを大切に思い、触れるもの、口に入れるもの、見聞きするものすべてに気を配っている様子を知るたびに、親の愛情はすごいなーと感動させられます。

自分のことには無頓着だった人も、子どものこととなると一生懸命になったりしますもんね。面白いくらい、ステキ。

◎大人の仕事は未来をつくること

だからこそ、そんな子どもたちに何を食べて育って欲しいかを考えます。

私には、自分の子どもはいません。いずれ親になるかもしれないけど、それはまだわかりません。

でも、成人して社会人として大人になったからには、未来の子どもたちに残したい社会を作ることが大人の仕事だと思って生きてきました。

だから、もちろん選挙には行きます。詳しくはないし、めまぐるしすぎて正直ついていけてないけど政治のことも、知ろうとしています。

私は、ゆとり世代で、上の人たちに「これだからゆとりは」って馬鹿にされたこともありますが、わたしはゆとり世代に生まれたことを恨んでなんかないし、自分たちの世代は面白い人がいるなー楽しいなーとすら思えます。

それに、ゆとり世代も、さとり世代も、望んでその世代に生まれたわけではなく、当時の大人たちが作った社会・世代で育っただけの話。

だから、世代でくくって、それより上の世代が馬鹿にするのは、とても滑稽だよなといつも感じています。

「それ、結果的に自分たちが作った社会を自分たちで笑ってることになるけど大丈夫?」って。…嫌味っぽい?笑

そんな揶揄される世代に生まれたからこそ、自分たちの経験をふまえて、よりよい未来を、生まれ来る子どもたちが大人になっても胸をはれるような社会を作って、つなげていくことが大人の仕事だと考えているんですよね。

◎私が望んだ小さな未来

そのための、私にとって、もっとも身近なアプローチが「」でした。

戦争のない社会や、国境を越えて人間同士が繋がれる社会というのも素晴らしいんですが、私は、もっとシンプルに、「未来の子どもたちにもおいしいものを、新鮮なものを、たのしい食事を残したい」と思いました。

今は飽食の時代です。もちろん世界規模で見れば飢餓にあえぐ地域があるのも事実ですが、身近なところでみれば、日本は食品を作っては捨てています。簡単に食べ物を残します。廃棄します。

それは、物質的に豊かにはなったけど、行為としては、とても貧しく悲しいことだと思います。

科学技術が進み、一日何品目も食べなくても、サプリメントで栄養補給が出来る時代は近いでしょう。

もう台所に立たなくても、食器を洗わなくても、野菜の値段に一喜一憂しなくても、《一日これを飲むだけで!》済むようになるのかもしれません。

でも、私はそんな未来は残したくないです。

もちろん、そういった食の選択肢があることはいいと思います。それを有効に利用した人生があってもいいと思います。

それでも、地球で育った作物の美味しさドレッシングや味付けをしない野菜の味彩りを考えて美しく盛り付けられた料理それに似合う器同じものを一緒に楽しく頂く空間、そういうものを残したい。

こう思うのは、私が今の時代の人だからかもしれません。時代遅れかもしれません。

でも、残したい。

だってだって、世界中においしいものいっっぱいあるし、面白い食べ方もあるし、それがたとえひとつのおむすびでも、誰かと食べるとめちゃくちゃ美味しかったりするし、私は「食」で、楽しくなったり幸せになったり、思い出になることが、素晴らしい経験がすでにたくさんあったから。

日本には日本の、海外なら海外の、それぞれの食べ物や、伝統料理食文化、それらを残したい。

そう思うようになったので、私は、農業を始めました。

いや、理由は他にもいろいろあって、それらが混ざり合って農業にいたったんだけどね。

ただ、まずは食の始まり。食べ物の作り方、工程、苦労、楽しみを知らなければならないと思ったのは間違いないです。

◎食の未来はあなた次第!?

でも、それが、この仕事をしていく中で、「育てるだけじゃ残せない」と感じるようになりました。

生産者だけが頑張ったって、どんなにいいもの作ったって、それだけじゃ私の望む未来は残せないと確信しました。

結論を言うと、未来の食をどんな形にもっていくかは、消費者次第です。

そう、つくるひと》ではなく《たべるひとが、これからの食、農林水産業を決めていきます。

そうそう、あなたです!あなたなんですよー!!!もちろんわたしも。

農業なんて興味ない、食文化とかどうでもいい、ヘルシーじゃなくても気にしない、それでもみんな、「たべる」ことはするでしょう?

私は非農家出身なので、この仕事を始めるまで、「食べ物はお金を払って買うもの」という意識しかなかった《たべるひと》でした。

それが《つくるひと》になって、以前と少し考え方が変わった《たべるひと》になりました。

現代の私たちは、食べ物に困らなさ過ぎて、《たべること》をあまりにも考えなくなっています。

それが、結果的にどんな未来に繋がってしまうのか。これから一緒に考えてみませんか。

 

だから、私は、ブログをはじめました。

《たべるひと》と繋がりたくて、知って欲しいことがたくさんあって、そのためのひとつの方法が文字にすることでした。

とはいえ私もまだまだ考えている途中です。超、途中です。てゆうかスタート切れているのかも不明です。(え!?)

あーでもないこーでもないと頭をひねらせ煙を吐いているのを、遠目でいいのでぜひ眺めに来てください。笑

暇つぶしくらいにはなるといいな。笑

 

おしまい

 

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