春から秋にかけて、楽しいのは野菜だけではない。なんといっても次から次へと美味しいフルーツが登場する。
春はなんといってもいちごが好きなんだけど、そこからいちごを懐かしむ間もなくあれよあれよと魅力的な果物が「いかがすか~?」とやってくる。幸せ。
先日も、いただきものの桃が強烈に美味しくて、とってもとっても感動した。
お世話になってるりんご農家さんが趣味?で育ててる桃をお裾分けしてもらったのですが、「ん?桃?マンゴー?」ってくらい香りも味も豊かでめちゃくちゃ驚きました。
『黄金桃(おうごんとう)』という黄桃。
「今年はイマイチかなー」とか言ってたけど、なんだこりゃー!!!めちゃうまい!
夫が床で倒れるように寝ていたため、声を押し殺してみたものの、発狂しながら今すぐ揺り起こして桃を口につっこんで、この美味しさを共有したいくらいの衝動には駆られた。
これほどまでに人をおかしくする桃をくださったのはリンゴ農家の方なのですが、桃はあくまで趣味の物。
だから最低限しか手入れはしていないらしいのだけど、それでこの仕上がりって何なのだ。
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これ、私の経験上、農業をしている人全般にいえることなんだけどね。
お米を出荷している農家さんでも、自家用で小さく野菜を育てていることは多くて、だけど出荷しているお米は気を遣うけど、それ以外の育て方は「テキトーだよ」っていう人が多かった。
私には数年の野菜栽培の経験があったこともあり「教えてくれ」って言われることが多かったんだけど、実際「今のままでなにも問題ないのでは?」というレベルで育てている人がほとんどだった。
もちろん、もっと手入れしたり、肥料設計をすれば、さらに良い仕上がりになるのかもしれないけれど、市場に出さない限りはそこまで労力をかける必要を感じないし、そもそも見た目も味も十分なのだ。
ただ、リンゴ農家の桃や、米農家の野菜が、彼らの言う「テキトー」な育て方でも上手に美味しく仕上がるのは、彼らは本来「植物に対する手のかけ方」を知っているからではないかと思う。
植物の様子をみて、なんとなくでも「おかしい」とか「元気そうだ」と感じるセンサーのようなものが素人よりは敏感なのだと思う。
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作物って、それぞれ個性があるし、育て方のクセはいろいろ違うのだけど、共通している部分もある。
たとえば、初心者の家庭菜園で陥りがちなミスとして、「水のやりすぎ」があると思うんだけど、どんな植物であれ、植物が水を得ないでも耐えられるある程度のラインを知っているかいないかは結構大きい。
さらに、水不足になると葉がどのように変化をしている等の観察する目も違うかもしれない。
つまり、日頃から作物を相手に商売している人は、それがどんな植物であろうと、初めて育てるものであろうと、最初からある程度の接し方をわきまえているのだと思う。
だから「片手間」「テキトー」「ついで」に育てたものでもそれなりに美味しい。
目のやり方と、手のかけ方の最低限のラインを感覚としてやっているから。
だからこればっかりは、素人が「テキトーにやってもそれなりに美味しくなる育て方を教えてください!」といっても難しい。
だって、たぶん本人たちは無自覚だから。
無意識のうちに、最低限のことをやっているのだけど、それを言語化せよといわれると難しいのだ。
(上手に説明できる人もいると思いますが)
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で、いろんな農家さんからそんな「ついで」をいただくことが多い私の偉そうな経験談でいいうと、本業の作物が美味しい人は、何を作っても美味しい傾向が非常~に強い。
実際、発狂作用のある桃をくれたリンゴ農家さんのリンゴは美味しい。
ここだけの話、私はそれほどリンゴが好きじゃなかったんだけど、ここのリンゴが美味しくて一時期ハマった。わざわざ買いに行くほど。
いつも会うたびに何かしらの野菜をくれるおじちゃまも、ミニトマトをメインに作っていて、それはもうとびきりに美味しいのだけど、実は他の野菜もめちゃくちゃ美味しい。
お米をメインに育てている米農家さんの庭のフルーツや、保存用の加工食品(梅酢とか佃煮とか)も美味しい。
別に、本業以外に作っているものがなくていいんだけど、こういうことも重なって、やっぱり私は「農業ってすごいなー!かっこいいなー!」と改めて思うのだ。
私は、数年がっつり農業に携わって、やっぱりどうしても伝える仕事もあきらめきれずに本業にすることは辞めたけど、農業はいまでも好きだし、アルバイトでも関わっていられるのは嬉しい。
ただ、この「言語化されにくい」という特徴は、働いていて非常にネックになる部分でもあった。
会社員を辞めて日も経ったので、ぼちぼち農業経営と会社員についていろんな側面からも書いていこうと思うけれど、なかなか憂鬱な部分も多いことを始めに言っておいちゃおう。
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ああ、実りの秋がやってくる。美味しい季節だねえ。
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