食べものと社会

以前、「食事」は食べ物についてだけでなく、食べ方のマナーや、「いただきます」「ごちそうさま」を言うことなど、家庭内で学べる社会性もを学ぶ場でもあることに少し触れました。

◎食事と仲間意識

「食べる」という行為は、自分の気持ち、精神的な充実という個人的なものだけでなく、社会的にも非常に意味のある行為だったりするんですね。

たとえば、「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。それは、同じ場所で同じ釜のごはんを分かち合ったということから、仲間意識を強めたことを意味します。同じ食卓を囲み、同じ料理を分けて食べるということは、それだけで一定の新密度を表すことになるんですね。

生きるために必要な食料を分かち合って食べるという行為は、そのメンバーが、ある意味で運命共同体であるということです。

つまり、これを利用したのが、お料理やお酒のある懇親会や、お食事会、飲み会なわけです。共に飲食することによって、仲間意識を高める効果があるということですね。

◎食事と立場

食事によって立場を示すこともありますね。たとえば《奢る》という行為。
「男性だから」「先輩だから」とお食事代を払ったり、払ってもらったりすることは日常的にあると思います。

時々、男性が奢ってくれなかったー!ってしょげる女性がいたりしますね。

現代では女性の社会進出がだいぶ進んだので、自分のお金を持つ女性も増えましたが、かつての多くの家庭では、旦那さんが稼いできたお金で奥さんがやりくりしていました。食事を奢ることが、パートナーとして頼れるかという基準であった頃の名残だとは思います。(もちろん愛があればなんとやらって人もいたでしょう。

現代では《主夫》という言葉もあるほど、男女関係なく、稼げる人が稼ぐという時代になったので、「男性が食事代を払うべき」という女性はむしろ非難されるようになってしまいました。残念です。笑

先輩だから」というのは、よく芸人さんたちの話で聞きますよね!売れてるか売れてないかじゃなく、芸歴が長いやつが後輩に奢るとかなんとか。
売れてない先輩には苦しいかもしれませんが、その行為だけで《先輩》というメンツは保たれるわけですから、実力主義の芸能界の世界では、なかなか大きな意味を持つルールだと思います。

また、これも現代ではあまり見られなくなりましたが、かつて家族全員で食卓を囲んでいた頃は、たとえば《家長から先に食べる》という習わしがあったりしましたね。

女性の立場がもっと低かった頃は《男性が食事を済ませてから、残ったものを女性が食べる》という時代もありました。たとえ家族だろうと、同じ食卓を囲めない時代もありました。

◎食事と生計

飯くらい食わせてやるから」といわれて、「え、まじすか!ゴチでーす!」ってなる人は現代っ子でしょうか。もはや、年齢などは関係なく、このような表現が使われている小説などを読む人で無い限りピンと来ないかもしれません。

これにはもちろん、《ごはんを食べさせてあげる》という意味もあるのですが、《生活の面倒をみてあげるよ》というニュアンスで使われることがありました。現代では、ほとんど使われなくなったと感じます。生活に困れば、とにかく行政に言え!国に言え!ネットに書き込め!な時代になってしまいましたからね。まあそれもまた現代の処世術なのでしょうけれど。

隣近所を家族だと思い、長屋の大家さんは住人の職探しやお見合い相手探しなどの世話までしていた時代の名残ですね。つまり「とにもかくにも、おまんま(ごはん)を食べること」が生きることだった時代に、《飯を食わせてやる》ってのは、生きることを支えてやる、面倒みてやるということでした。

職人さんカナヅチ片手に「これで飯食ってますんで」という。別に、カナヅチを器用にお箸代わりに使ってごはんを食べられる自慢しているわけじゃないことはわかりますよね?笑

「○○で飯を食う」と言うと、○○という仕事で生計を立てているという意味になります。生きるためにごはんを食べる、ごはんを食べるために仕事をする。食事が、暮らしていくことにいかに重要だったかがこのような表現からも感じることが出来ます。

さて、女性の皆様。男性に「お前の作った味噌汁が食べたい」と言われたらどうしますか?

(味噌汁か。具は何がいいかな。とりあえずクックパッド…)ってちがーう!!いや、いいんですけど。私ももし言われたら普通に作るでしょうけど。私も食べたいもん、お味噌汁。

ロマンティックな時代では、この台詞がプロポーズを意味したこともありました。今は言う人もいなければ、プロポーズと受け取る人もほとんどいないでしょうし、第一、現代人は《結婚》を背負わせるほどお味噌汁を求めていないでしょうから。

それでも当時は、お味噌汁がついている食卓が家庭料理のスタンダードで、ゆえにお味噌汁には家庭の味、おふくろの味が色濃く反映されていました。つまり、その人のお味噌汁を食べるということは、同じ家庭に入り、同じ食卓を囲み、同じ生計で生活していくことでもあったんですね。

「お味噌汁を食べたい=一緒に毎日食卓を囲みたい=一緒に暮らしたい」

回りくどいな!!!いやいや、非常にロマンティックですね。

私たちは、ただ漫然と食べてきたわけではなく、人々の考え方や社会の変化に合わせて、食事をしてきたんですねー。って、つきつめていくと、世相や宗教が関係してきたりもするのですが、それはまたいつか。

現代の、割り勘が当たり前になったり、家族一緒に同じテーブルで、いただきますと同時に同じごはんを食べられる時代って、ものすごく制限が少ないし、時々ちょっと自由すぎるかもしれないけど、幸せな部分もたくさんありますね。

食事の意味は、人それぞれあると思いますが、女性だけでランチや飲み会に出掛けたり、好きな人と好きな食べ物を好きなように食べたり、家族で食事を囲んでおしゃべりしながら食べられることは、現代だからこそ出来る食事スタイルです。

こんな時代だからこそ、人に《奢る》という行為も、よりありがたい行為になるでしょう。それはもはや当たり前な行為じゃないから。

もしかしたら、半世紀後は、全然違う食事スタイルになっているかもしれません。いや、なっているでしょう。

だから、私としては、生きるために、心を満たすために、そして、今だからこそできる食事を大いに楽しんで、味わっていきたいなーと思います!

おしまい。

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