以前、「食事」は食べ物についてだけでなく、食べ方のマナーや、「いただきます」「ごちそうさま」
◎食事と仲間意識
「食べる」という行為は、自分の気持ち、
たとえば、「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。それは、
生きるために必要な食料を分かち合って食べるという行為は、
つまり、これを利用したのが、お料理やお酒のある懇親会や、
◎食事と立場
食事によって立場を示すこともありますね。たとえば《
「男性だから」「先輩だから」とお食事代を払ったり、
時々、男性が奢ってくれなかったー!
現代では女性の社会進出がだいぶ進んだので、
現代では《主夫》という言葉もあるほど、男女関係なく、残念です。笑
「先輩だから」というのは、
売れてない先輩には苦しいかもしれませんが、その行為だけで《
また、これも現代ではあまり見られなくなりましたが、
女性の立場がもっと低かった頃は《男性が食事を済ませてから、
◎食事と生計
「飯くらい食わせてやるから」といわれて、「え、まじすか!ゴチでーす!」ってなる人は現代っ子でしょうか。もはや、年齢などは関係なく、このような表現が使われている小説などを読む人で無い限りピンと来ないかもしれません。
これにはもちろん、《ごはんを食べさせてあげる》という意味もあるのですが、《生活の面倒をみてあげるよ》というニュアンスで使われることがありました。現代では、ほとんど使われなくなったと感じます。生活に困れば、とにかく行政に言え!国に言え!ネットに書き込め!な時代になってしまいましたからね。まあそれもまた現代の処世術なのでしょうけれど。
隣近所を家族だと思い、長屋の大家さんは住人の職探しやお見合い相手探しなどの世話までしていた時代の名残ですね。つまり「とにもかくにも、おまんま(ごはん)を食べること」が生きることだった時代に、《飯を食わせてやる》ってのは、生きることを支えてやる、面倒みてやるということでした。
職人さんカナヅチ片手に「これで飯食ってますんで」という。別に、カナヅチを器用にお箸代わりに使ってごはんを食べられる自慢しているわけじゃないことはわかりますよね?笑
「○○で飯を食う」と言うと、○○という仕事で生計を立てているという意味になります。生きるためにごはんを食べる、ごはんを食べるために仕事をする。食事が、暮らしていくことにいかに重要だったかがこのような表現からも感じることが出来ます。
さて、女性の皆様。男性に「お前の作った味噌汁が食べたい」と言われたらどうしますか?
(味噌汁か。具は何がいいかな。とりあえずクックパッド…)ってちがーう!!いや、いいんですけど。私ももし言われたら普通に作るでしょうけど。私も食べたいもん、お味噌汁。
ロマンティックな時代では、この台詞がプロポーズを意味したこともありました。今は言う人もいなければ、プロポーズと受け取る人もほとんどいないでしょうし、第一、現代人は《結婚》を背負わせるほどお味噌汁を求めていないでしょうから。
それでも当時は、お味噌汁がついている食卓が家庭料理のスタンダードで、ゆえにお味噌汁には家庭の味、おふくろの味が色濃く反映されていました。つまり、その人のお味噌汁を食べるということは、同じ家庭に入り、同じ食卓を囲み、同じ生計で生活していくことでもあったんですね。
「お味噌汁を食べたい=一緒に毎日食卓を囲みたい=一緒に暮らしたい」
回りくどいな!!!いやいや、非常にロマンティックですね。
私たちは、ただ漫然と食べてきたわけではなく、
現代の、割り勘が当たり前になったり、
食事の意味は、人それぞれあると思いますが、
こんな時代だからこそ、人に《奢る》という行為も、
もしかしたら、半世紀後は、
だから、私としては、生きるために、心を満たすために、そして、
おしまい。
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