父親からもらった、ラベルもボロボロの年季の入ったお酒を飲んでみたら、思いのほか強くてびっくりした。
いまでもほとんど毎日、晩酌を欠かさない父は、彼の世代のほとんどがそうであったように、若いころからお酒に親しんできた。
昔から無口で、堅物で、おどけるとかひょうきんという言葉からは一番遠いところにいるような父だったけれど、たまにお酒を絡めた昔話をする時は、妙に楽しそうだった。
平成生まれの私からすれば、まさに昔のドラマや映画、小説でしか知らないようなシーン。
学生運動の風がまだ吹く中で、喫茶店で待ち合せたり、安いウイスキー瓶を友人と囲んで飲んだり、あの頃は煙草も酒もイケてる嗜みだったから、それはもう、あゝ昭和と言いたくなるほど、私には憧れも混じったセピア色の景色なのだ。
一方で母はお酒も弱いし、昔はほとんど飲まなかったし、いまもさほど興味はない。
だから、父は私にお酒の話をするのがどうやら楽しいようだ。
このもらったお酒も、おそらくだいぶ前に買ったものを大切に大切に飲んでいた残りだ。
現在売られているボトルの何代か前のモデルらしい。
他にもまだまだあけてないお酒があって、それをたまに思い出したように自慢されるのだけど、「そんないいお酒、1人で飲んだってつまんないんだから付き合うからね!」とちゃっかり念押ししておく。
倹約家の父は、滅多に高級だったり珍しいお酒を買うことはない。
だから、彼が大切にしてるのはそのほとんどがいただいたものだ。
昔、営業マンとしてバリバリ働いていた頃は、取引先の接待と言えば、当たり前のように高級料亭や銀座のクラブなどが使われていた頃。
その頃に、熱心に働きながら、美味しいお酒の味を知っていった。
そして、そんな付き合いの中で、いろんな人からお酒をいただくことがあったのだ。
父は、そのお酒1本1本が、誰からいただいたものかをしっかり覚えている。
そしてたぶんそれは、父が築いてきた人間関係やキャリアがひとつの形になったものなのだと思う。
私は、それを人のことながら誇らしく思うのだ。
いまではお酒はタバコ同様、悪しきものとされてきているし、実際にお酒といってもさまざまで、健康に影響があることは認めざるを得ない。
でも、お酒の存在意義まで否定したら、なんだか切ない。
いずれ煙草もお酒もなくなる時代が来たとしても、かつて父たちが過ごした、そして私が過ごした、美味しいと思えるお酒がある時間まで歴史の汚点にするなかれ。
そんな私も、会社が押し付ける『飲みニケーション』や『アルハラ』は大嫌いなタイプなのだけれど、誰からの押しつけでもないロマンチックな嗜み方も確かにあると思うのだ。
今日の夜は、白米、トマトと卵のお味噌汁、ピーマンの鰹節和え、焼き鮭、キュウリの漬け物を食べた。
とても、良い日だった。
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