朝ドラが『木綿のハンカチーフ』の歌詞の意味を変えてしまった。

前作『おかえりモネ』から、再び朝ドラが面白い。

昔からなんとなく観ていた朝ドラだけど、近年は有名俳優を多く起用しているにもかかわらず、個人的には魅力を感じないヒロインや脚本が続いて大体途中で離脱していた。

『おかえりモネ』も、期待はしていなかったものの、主演の清原果耶ちゃんが好きだったのと、震災をテーマにしているとのことで、録画だけはしておいたとう感じ。

ところが、朝ドラの定番ともいえる子役を使わずに、ヒロインの中学生から大人になるまでの短期間を1人の俳優で描くという切り取り方と、極力ナレーションやBGMを減らした演出がとても心地よく、いつぶりかわからないくらい最終回まで完走した。

正直、最後の方は尻すぼみ感があったけど、映画でもドラマでもドタバタワーワーうるさい系よりも、淡々と日常を描くヒューマンストーリー系が好きな私には刺さった。

だから、「展開が遅い」「暗い」「平凡でつまらない」という意見もわかることはわかる。

でも、だからこそ俳優陣の目線や表情が試されるというのもあって、私としてはとても見応えがあって久しぶりに楽しかった。

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とはいえ、時代は移り変わり、朝ドラは『カムカムエヴリバディ』へ。

これまたヒロインが3人という斬新なつくりが話題となっていたけれど、これまた特に期待するわけでもなく、『おかえりモネ』のまま録画していたから見始めたという感じ。

ちなみに今は、最初のヒロイン・上白石萌音の章が終わり、深津絵里のターンに移っている。

深津絵里、最初は18歳の役はいくらなんでも無理があるのでは…と思ったし、実際そういう声は多かったけど、やはり女優だ。すごい。すぐに慣れた。

というか可愛らしく見える。少女に見える。49歳だぞ?

彼女の持ち前の透明感と美しさはもちろんだけど、少女のあどけなさを体現する演技力に脱帽する。本当にすごい。

朝ドラを観ていない人がヴィジュアルだけ見れば、たぶんいまでも49歳に見えるんだろうけど、ドラマ視聴者はそうは見えていない。

ウブで控えめで、まだまだ世間知らずなお嬢さんに見えるのだ。すごすぎる。

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そろそろいい加減、本題にいってくれよ。木綿のハンカチーフがどうしたんだ。

そう、ここからは若干のネタバレになるので、知りたくない人はごめんくださいまし。

まさに今朝の回。

彼がプロポーズをした彼女を地元に残し、3か月だけだからと東京に仕事をしに出掛けるという状況。

彼は、寂しがる彼女に「3か月なんてすぐだよ」みたいなことを言うんだけど、まあこれもまた若さだよね。

若い男女なんて3か月あれば、世界を変えるには十分な時間なのにね。

そんで案の定、どうやら3か月後の約束の日に会えなさそうフラグが立って、終わったんだけども。

ようやく登場です。

「ああ、なんか『木綿のハンカチーフ』みたいだな」って思ったんだよね。きっと私だけじゃないはず。

『木綿のハンカチーフ』とは、1975年発売の太田裕美さんが歌う名曲。ちなみに作詞は松本隆さま。

地元に彼女を残して都会に出ていった彼が、どんどん都会に染まっていって、最後は彼女を忘れて去ってしまうという歌。

いまも名曲として語り継がれるのも納得なほど、たった1曲で、短編映画でも観たかのような切ないストーリー(歌詞)。

それでね、私はこれカラオケでもよく歌うくらい大好きなんだけど、今日の今日まで、

「これだから男の人って仕方ないよね」
「都会に浮かれちゃってね、こんないい女フルなんて馬鹿だよね」
「負けるな彼女!涙を拭いたらもっといい恋ができるぞ!」

なんて。100%彼女の味方していたわけ。

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この歌の歌詞に出てくる彼は、

「ちょっと都会に行ってくる!君に似合うプレゼントも探すからね!」
「都会はいいよ!イケてるのあるからとりあえず送る!田舎には絶対売ってないし!」
「いやー都会はいいね!僕もおしゃれになったし。君も口紅くらいつけたら?」
「やば、ごめん都会楽しすぎ!帰るの辞めたわ!ごめん!幸せになって!」

って感じで、なんのテンプレだよってくらいゴリゴリに都会にかぶれていくんだけどね。

たぶん誤解してなきゃ、こういう内容の手紙が彼から送られてくるんだけどねっていう設定で。

こんな浮かれたアホの帰りをけなげに待っていたのに、最終的に向こうからフラれるって。

「いやまじなんなん。ちょっと怒りも悲しみも超えて笑えるんですが。は?」ってなるじゃん。

でも、それが、今朝の朝ドラをみて、この歌を連想したら、ちょっと感じ方が変わっちゃった。

もしこれが全部、嘘だったらって。

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彼は、実は東京を全然楽しんでいなかったらって。

最初はうまくいっていたのに、途中から人や土地に馴染めず、仕事もうまくいかず、夢も希望も失くして、苦しみながら生きていたなら。

調子のいい時に、かっこつけた手紙送った手前、いまさらのこのこと帰るわけにもいかず、彼女にも合わせる顔がない。

なんなら、地元に帰るためのお金すら工面することができなかったら。

かっこつけることしかできず、弱音も吐けず、だからせめて彼女に送る手紙のなかだけでもキラキラしていられたらと思って書いていたとしたら。

ああ。

こんな自分をいつまでも待たせたって仕方ないから、と、自分を悪者にして彼女と別れることを決めたなら。

ああ。

そうかもしれないんだ。
嘘か本当かなんてどこにも書いていないし、彼女が彼に会って都会でパリピってるのを確かめたわけでもないし。

最後、彼女は恋人との別れが悲しくて泣くのかと思ったけど。

もし、彼女が彼のうまくいっていないことなんかをすべてを察していたとしたら。

途中から、手紙の内容が嘘だってわかりつつも、私だけは信じてあげなきゃと思って読んでいたとするなら。

ああ。

最後が、自分を思って切り出した、彼の最後の嘘なんだってわかっていたとしたなら。

ああ。

こんな風に考えだしたら、止まらなくなって、唸るほど胸が苦しくなった。

あああ。

いや、実際はわからないよ。歌詞通りの意味かもしれないし。

でも、そうじゃないことだって、無くはない。ありえなくはない。

人は、ときどき嘘もつくから。

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大好きな『木綿のハンカチーフ』。

今朝観た朝ドラをきっかけに、180度くらい歌の意味が違って見えるようになった。

でも、もっと好きな歌になった。

どう受け取るかは自分次第。それが詩や歌詞のおもしろいところなんだよね。

あなたはどう思う?

どんな風に、この世界が見えている?

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