察してちゃんと、社会と、人間関係と、発達障害と。

なかなか30歳も過ぎたけれど、周りを見渡すと、どういうわけか男も女も”察してちゃん”が気になってしまう。

どうして年齢をわざわざ出したかというと、30歳というのは人生で言えばまだまだひよっこだけど、社会的には立派に大人として分類される年齢だからだ。

そんな大人の中に、それは、ちょっと年下やちょっと年上も含め、いわゆる”察してちゃん”と呼ばれるような人がまだまだいるなあと感じるのね。

察してちゃんは、『あえて言葉にしなくても自分の心情を察してくれる』という思考を持ち、周囲に対して過度に期待している人のことです。相手に言いたいことがあっても、「察してほしい」と思っているため、遠まわしに言ったりほのめかしたりするだけで、はっきり伝えません。

引用元:「察してちゃん」になりやすい人の特徴と上手な付き合い方

これ、恋愛で持ち出されることが多いけど、友人や家族、その他の人間関係でもよくあるよね。

じゃあこれと年齢って関係あるの?って聞かれると、これは完全に私の主観だけど、答えはイエス。

なんてったって、私自身も昔は察してちゃんだったと思っているから。

「なんでこう言ったのに気付いてくれないんだろう」
「どうしてこんな様子を見てもわかってくれないんだろう」
「ここまで言ったんだから、あとは察してよ!」

という心理は確かにあった。

しかもタチが悪いのは、それは相手が悪いのだと決めつけていたこと。

いや、なんなら、察してくれない人のことを「ダメな人だ」なんて、何様目線で思っていたこともあったと思う。

超、調子乗ってる。今なら過去の自分に飛び蹴りかましてやりたい。

あと、シンプルにめっちゃ恥ずかしい。震える。

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私が大学生の頃くらいだったかな。

「空気読む」という言葉と感覚が一般的に使われるようになったのは。

大学生同士の浮かれた会話でも「空気読めよ」「まじKYじゃん」という言葉は、空気の読み方を考え直す暇もないくらい頻繁に飛び交っていた。

そして、それくらいから「空気を読むこと」と「察すること」が絶妙に、それぞれに擬態しながら混ざり合うようになってきた。

例えがちょっと平成かもしれないけど、「女の子の大丈夫は大丈夫じゃないんだよ!!」なんて、文章的にはまさに意味がわからない、打ち消しにもほどがあるみたいなフレーズがよくきかれた。

女の子が、全然大丈夫そうじゃない顔して「大丈夫だからっ!」なんて語気強めに宣言して走り去っていった場合は、居合わせた人は、「大丈夫じゃない」と判断して追いかけるか、恋仲なら抱きしめるか、ようはまあそういう合図ですよってことだ。

王道恋愛ドラマだったら、ここで主題歌がバーンって流れてきて、2人が見つめあい、キスするの?しないの?何っ?キーッ!ってなったあたりで、次週予告が入る。

そう、これが、初々しい恋愛なら、恋人同士のある種のプレイならかまわないし、ぜひ楽しんでほしい。

でも、それなりに大人になったらちょっと考えた方がいい。

察してちゃんの自覚が無いと、結構苦労するから。

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そもそも、人はそんなにいつでも他人を気にして生きていない。

だから、あなたが思っているほど他人はあなたなんて見ていないし、さらに言えば、あなたが何を考えてどんな心理状態にあるかなんてまじで気にしない。

でも、人間関係を築くうえで、時に会話や表情、様子から、相手の考えや感情を想像することはある。しょっちゅうある。

そのなかで、相手は相手が考えられるなかでのベストな対応をするけれど、それは必ずしもあなたが求めるものではない。

そしてそれはめちゃくちゃ当たり前で普通のことだ。

だから、ちゃんと言葉や行動で的確に伝え、時には必要とする答えまで誘導するくらいの力が必要なのだ。

例えば、仕事でもそう。

あなたは自分のキャパオーバーの仕事を抱え、連日残業している。
長時間の勤務と睡眠不足による疲れやストレスで、顔色は悪く、ため息をつきがちになっていることもわかっている。

それを見て、「最近残業多いし、手が回ってないんじゃない?」と声をかけてくれる同僚が現れた。
あなたは、「自分の要領が悪いだけなんで。大丈夫です。」と応える。
しんどいし全然大丈夫じゃないけど、謙虚で頑張り屋さんなところをアピールしたいのだ。
立派な回答に思える。

同僚は、「そう?じゃあ無理しないで頑張ってね。」と言い、去っていく。
あなたは心の中で(そんなわけないじゃん。まじめに受け取ってバカじゃないの。空気読めよ。声かけたなら手伝えよ。)と毒づく。

でも、これじゃダメなのだ。

そんなやりとりで仕事が進むわけじゃない。相変わらず終わらない。なんなら増える。

他人に八つ当たりするくらいなら、正直に言った方がいい。「助けてほしい」と。

いったん引き受けた自分の仕事を、助けてほしいというのは都合がいいかもしれないけれど、肝心なのは期日までに仕上げることだ。

仕事において、察してモードは邪魔者でしかない。

でも、これをあらゆる場で通常モードとしている人がいる。

プライベートならいいんだけどね。

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ちなみに、(空気読めよ)と毒づいたように、相手が察してくれないことに対して、相手を”空気が読めない人”と見下すことで溜飲をさげるようなすり替えをしている人をみかけるけど、「空気を読む」が全体の雰囲気における判断だとすると、「察して」は個人の感情レベルのものだ。決して同じではない。

この考え方の仕組みは、昔の私にも当てはまる。

自分の至らなさを相手に八つ当たりしているだけなんだけどね。

もし「こいつ空気読めねえな」と思うことがあったら、それは本当に「空気を読む」ことなのか考えてみてほしい。

もし、自分の心と向き合って、本心は「こいつ察してくれないな」だったら、察してちゃんの才能があるかもしれないので、オフィシャルな場面ではぜひ思い切って捨ててほしい。

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そして、最近とても感じていたことがある。

SNSなどでも定期的に、ASD・ADHD・LDなどの発達障害と呼ばれるものの自己診断結果や憶測で、「周りとうまくやれないのは障害のせいかも」みたいなコメントをよく見かける。

自己診断もせずに、「たぶん私〇〇だ~」と言ったりね。

もちろん、なかには本当に気づくことができて、治療のきっかけになったという人もいるでしょう。

でも、そうやってSNSに気軽にあげるような人たちの一体何割が、専門医の診察を受けに行ったんだろう。

ASD・ADHD・LDなどで実際に苦しむ人たちを否定するつもりはもちろんない。

でも、自分が社会に適応できないことや人間関係がうまくいかないことを、障害ということにして、「だから許されるよね」という気持ちがスケスケに見える時があるのだ。

私だって完璧じゃないし、対応を間違うときも、相手を傷つけてしまうことも情けないけどまだまだある。

自分で自分の行動や発言が信じられなかったり、ツッコミたかったりするような時さえある。

でも、空気を読まなくてもいいから、相手に察してもらおうとせず、ちゃんと伝えようとしている。

だから、諦めないでほしい。

病気や障害を公表することを”逃げ”だと言っているんじゃないよ。わかるでしょ?

自分はコミュ障だと思っている人でも、考えや気持ちの的確な伝え方を、反省と勉強で改善できる人はもっともっといると思う。

まずは、自分の中に”察してちゃん”が住んでいるかどうかを確認するだけでもいい。

”察してちゃん”のままで苦労するのは結局自分だから。

いままで何もうまくいかないと思っていた会話も、もっと気楽でシンプルなものに変わるよ。

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