私の実家の階段は、夫が「家のなかの階段でこんなに急なの見たことない」と言うほどものすごく急だ。
生まれ育った私がそう思うのだから間違いない。
2階に上がるのに、屋根裏部屋に行くのかと思うような階段を上らなければならない。
上京して、久しぶりに実家に帰ったら、上り下りするのが怖く感じたほどだ。
急なだけならまだしも、そのうえ狭くて長い。やれやれである。
滑り落ちたことは何度かある。ところが不思議なことに一度もケガをしたことはない。
それでも、10年ほど前にようやく両親が手すりを付けてからは、少し上り下りしやすくなった。
肉体面よりメンタル面の安心感が大きい。
それほどまでに急な階段だけど、学生の頃は気にもせずひょいひょい上り下りしていた。
生まれた時からこの階段で育っているんだから、怖いとも急だとも特に思わなかった。
でも、元気ながらも還暦を過ぎた両親は、この頃たまにちょっと怖く感じたり、億劫に感じることが出てきたらしい。
そりゃそうだ。
そろそろこの階段で転んだら大事になりそうな身体でもあるし、「ゆくゆくは1階だけの生活にした方がいいよね」なんて話している。
それも、ごく最近になって思うようになったことだ。
少なくとも、私が学生の時は、この階段の上り下りの大変さなんて気にしたこともなかったんだ。
ー
あまり身体が丈夫ではなく、しょっちゅう風邪をひいては学校を休んでいた中高生の頃。
両親のいない日中、お昼時になると、2階にある私の部屋に、おばあちゃんの声が聞こえた。
「調子はどう?お昼ごはん、一緒に食べよ。」
そのまま一緒に下に降りて食べることもあったし、「いらない」とか「あとで」っていうこともあった。
おばあちゃんは、いつもこの急な階段を、ゆっくりゆっくり上って、そして、立って下りるのは危ないから、座りながら一段一段ていねいに下りていた。
お昼ごはんを食べるために下りるときは、私もおばあちゃんと一緒にゆっくりゆっくり下りていたけど、おばあちゃんはいつも「いいよ、先行って食べてて」と言っていた。
でも、なんとなく悪い気がして、なんとなく一緒に下りていた。
それでも私は、おばあちゃんの大変さを、リアルな感覚ではちゃんとわかっていなかった。
なんなら「一緒に下りる私、やさしいぜ」くらいに思っていたような節もあった。
それくらい、階段の上り下りの大変さがピンときていなかったのだ。
ー
お昼を過ぎると、しばらくして、また声がする時もあった。
「のど乾いてない?」「ジュースはいらない?」
お水を入れたコップや、ペットボトルのジュースを持ってきてくれた。
「おばあちゃん何回も来れないから、もし欲しいものあったら今教えてね」なんて言ったりして。
いくら具合悪くてもトイレには起きるのだ。
喉が渇いたら自分で取りにくらい行ける。
「大丈夫だよおばあちゃん。自分で行くから。下にいていいよ。」
ちょっと鬱陶しがるように言うこともあった。もう小さい子供じゃないんだしって。
おばあちゃんは、「そっかそっか」といいながら私のベッドに腰かけて少し休み、乱れた呼吸を整えてから「でもなんかあったら言ってね」と部屋を出て行った。
ー
なぜか最近、あの頃のことがよく思い出されて、おばあちゃんのやさしさに、愛情に、胸が熱くなる。涙がこぼれる。
今の両親よりよっぽど年上だったあの頃のおばあちゃんにとって、あの階段は、ただ孫に声をかけるだけなのに、毎回毎回超えねばならない大きな障害だったに違いない。
それでも、いつもおばあちゃんはゆっくり、ちゃんと、来てくれた。
そんなおばあちゃん、まだまだ元気に長生き中。
もう100歳近いけど、ボケもせず、私のこともちゃんとわかっている。
歌も歌うし、よく笑う。
どうかその時が来るまで、苦しむことなく楽しくあってほしい。
私には何が出来るんだろう。
ー
実家の、とても急な階段。
その階段を見上げる度に、私はものすごく愛されて育ったのだと実感する。
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