今日は、ここ数日の歯が痛くなるほどの寒さとはうって変わって、とってもとっても暖かい1日だった。
天井知らずで値上げしていくガソリンの価格に怯えながらも、給油しなければ暮らしても行けず、仕方なしに行ったガソリンスタンドに設置してあった温度計は、よっぽど日当たりがよかったのか18.1℃を表示していた。
実際には気温はそれほどないし、1桁に留まる程度なのだけど、陽射しを浴びると、体感ではそれくらいあるように思えるほど暖かかった。
今日は成人式。
とはいえ、近年は成人式の前の土日に開催されることが通例になってきたので、街で新成人をみかけることはなかったけれど、SNSには晴れ着に身を包む若者の姿がちらほら登場して、かなり微笑ましい。
これに乗じて、思いっきり可愛い自分の成人式の写真をアップして、「恥ずかしいけど…」とか言いながら盛大に誉め言葉をかき集める大人がちらほら登場するのも、もはや恒例となった。
着物好きとしては、たくさんの着飾った若々しい着物姿を拝めるのもかなり眼福でありがたい。
全国の新成人の皆さんの素敵なおめかしを共有してもらえるのは、純粋に嬉しいよね~。
誰に見られているかわからない怖さもあると思うけれど、家にいながら全国の素敵なおめかしを眺めることができるのは、幸せのおすそ分けをいただいているような気持ちになるのよ。しみじみ。
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成人式になると、ちょっと年上の人たちは「若いね~」「まだまだこれからだね~」「羨ましいね~」と声をかけたがる。
その気持ち、めちゃくちゃわかる。ホント、眩しいよね。
でも、20歳の当人たちにとっては、大人の第一歩で、もう子供はおしまい、しっかりしなきゃって気持ちになる年齢なんだよね。
10年以上過ぎれば眩しく感じられても、20歳の自分は、そんなことわからない。
光の中にいると、自分の明るさを自覚できないように。
だから、周りの大人たちにいくら羨ましがられても、全然ピンと来ない。
だって、自分たちですら20歳の頃、一丁前に「10代が羨ましい」と思っていたりしたんだから。
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20歳を羨む大人たちだって、実際は全部が全部キラキラしていたわけじゃないことも知っている。
そうじゃないとするなら、めちゃくちゃ幸運のハッピー野郎だったか、あとは忘れてしまったかだ。
ただただ若さを羨むのは、キラキラした思い出だけをふるいにかけるように残してきた人たちなんだと思う。
それが悪いこととは言わない。でも、若さがすべてではない。
もちろん若さに価値はある。強い。それ持ち出されると、年上はかなわない。お手上げだ。かなり武器になる。
でも、それだけじゃ人間としては弱い。無敵にはなれない。なんならもろい。
知識や経験が乏しくても大人たちに舐められないように、若者には若さと言う強力な武器を与えたんだと思う。
そしてそれは年を重ねるほどに失われていくような仕組みになっている。
いずれ失うことを知りながら、人はどんな新しい武器を手に入れていくんだろう。
それが、試練でもあり、楽しみでもあり、冒険のようでもあるのだ。少なくとも私にとっては。
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「20歳に戻りたい?」と聞かれたら、答えはNO。
戻れたら、違う道もあっただろうし、思いもよらない可能性とやらに出会うかもしれない。
でも、もう一度また10年ちょいやり直す気にはならないし、いままで培ったものを大切にしていたい。
たいした人間にはなれていないし、今後もほどほどで生きていくような気がしているけれど、それでももし新成人に声をかけることがあるなら、「羨ましいよ」ではなく「大人は楽しいよ」って言う。
10代の頃、私は楽しい大人になりたかった。
私はいまも、楽しい大人になりたい。
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