現代には、飲食店のレビューサイトがいくつもあって、行ったことないお店でも、事前にメニューが見られたり、人気の品が知れたり、便利だよなーとつくづく思います。
便利な世の中だねぇ
なによりも便利だと思うのは、お店の場所が地図アプリと連動して見られることと、営業時間や定休日、電話番号がわかるところです。
場所がわからずウロウロすることも、せっかく行ったのに定休日で入れなかったってことも無くなりました。 (あの片思い感切ないよね)
個人の小さなお店でも、最低でも住所と電話番号くらいはネットで検索できるようになったのでとっても助かります。
でも、そうしてお店に行きやすくなった分、サービスが均一化して、かつての雰囲気をなくしてしまったお店があるのもまた事実だなと感じているんですよね。そして、それがとても寂しい。
星の数は参考にしない
多くの飲食店には、当たり前のように口コミが書かれてますよね。私もよく参考にしています。
初めて行くお店って、あれもこれも気になって、だけど食べられる量なんて限度があるから悩む。超悩む。
特に遠方の、しょっちゅう行けないお店なんかだと、超超悩む!!!!
そんな時に、口コミで評判がいいメニューや、「これはぜひ食べるべき!」なんて書かれてあると、決めかねた時に頼りになります。
でもね、星の数はあまり参考にしません。
だって、めちゃくちゃ美味しいお店が星の数では低評価になっていたり、人気の様子がみられないお店が高評価になっていたり、するからね実際。
もちろん、こりゃ納得と思える場合もありますよ。でも、必ずしも星の数がお店の評価ではないと思うんです。
そもそも星の評価って、ミシュランから来ているんですかね。なんかね、そこからして私は信用していないんです、飲食店の口コミサイトを。
接客に不満のある方々に朗報です
見かけたことありません?街の小さな食堂みたいなお店のサービスについてクレームを書いて低評価している口コミ。
「店主が1人でやっているから待たされた」「お水も出されなかった」「子供用のメニューがなかった」「愛想が悪かった」「常連客とばかり話していて不愉快だった」「待っているのに気づいてもらえなかった」等々…
もうね、一言いいたいの。言わせてお願い。
「かまってちゃんかーーー!!!」
あのね、もうね、全部について言わせてください。
「店主が1人でやっているから待たされた」
あたりまえだよー(泣)1人で調理から接客までやるのって大変。むしろよくやってくれてますよね。すごいと思う。
待てないなら、早いとこ諦めましょう!
むしろ、大げさにならない程度に食器を下げたり、様子をみてお会計をお願いしたりする客の心意気を楽しむお店です。
「お水も出されなかった」
じゃあサクッと「すいません、お水もらえますか」と言いましょ!
たぶんね、うっかり忘れているだけがほとんどです。うっかり、って人間誰しもありますから。
お水をを出されなかったって嘆く前に、タダでお水がいただけることがありがたいよね。お水の国バンザイ!
「子供用のメニューがなかった」
それはお店を選び間違えちゃいましたね。
お子様向けのメニューを用意しているお店は他にありますから。安心してそこに行きましょう。
お子さんが大きくなったら一緒に行く楽しみが増えますね。
「愛想が悪かった」
それはもう残念ですね。たまたま虫の居所が悪かったのか、人としての相性が悪かったのか。
どう考えてもとんでもなく愛想が激悪だったら心配しなくてもそのうち潰れますからね。
嫌な思いするくらいなら、次からはお気に入りのお店に行きましょう!
「常連客とばかり話していて不愉快だった」
それは悔しかったでしょうね。ならばくじけずに常連さんになってみましょう!
「待っているのに気づいてもらえなかった」
呼びましょう。声かけましょう。手を挙げましょう。積極的に気づいてもらいましょう。
かまってちゃんか!って言ったけれど、飲食店じゃなくても相性ってありますからね。
たとえばハッキリしたものの言い方を不快に思う人もいれば、キモチイイなと思う人もいますから。
人間関係って、最終的には発し手じゃなくて受け手が判断しますしね。
だからって「考え方を変えましょう」とか「広い心を持ちましょう」なんていいません。
だって、変な気を遣いながらごはん食べたって楽しくないじゃんね。
でもさ!世の中にはごはん屋さんが行きつくせないくらいたくさんあるから、今回は残念だったけど、また新しいお店に出会えるチャンスと思ってさ!
これにめげずに出かけていきましょう!次だ次!
飲食店のサービスって何?
散々勝手なこと言ったけど、別に、「接客が悪くてもいいじゃない」ということを言いたいわけではないんですよ?
私だって、店員さんの感じがよくて、よく気がついて、さりげない心遣いが感じられるお店は大好きです。
そういうお店はたいてい人気がありますね。
でも、おしゃれじゃなくても、愛想悪くても、特別おいしいわけでもないけど好きなお店もあります。
最初は無愛想に思えても、通っていくうちに覚えてもらえて、そのうち挨拶をするようになって、ちょっとした世間話ができる関係になっていく過程もとても味わい深いと思っています。
私は、飲食店のもっとも重要なサービスは「対価を払うことで、食べたいものを提供してくれること」だと思っています。
本来は、自分で材料をそろえて、調理しなければ食べられないものを、代わりにやってくれるということ。
一般家庭では、そろえにくい食材や、特別な調理器具を使ったり、調理にとても手間がかかるなどなど、本来であればなかなか食べられないであろう料理を、提供してくれる。それって、すごくありがたい。
もちろんその上で、客商売だから接客もないがしろにしてはいけないという意見は納得できます。
でも、納得できるけど、それがすべてではないと思います。
飲食店に対して、料理以外のことで不満を感じることはありますよね。
私にもあります。
不満ってほどじゃないけど、なんか気になるな~もやもやするな~ってことならもっとあります。笑
でも、それはそれで、まずは、「私が食べたいとリクエストしたものを作ってくれてありがとね」ってことは忘れちゃいけないと思ってます。
どんなお店にも意味はある
ある日、ラーメン屋さんで食べていると、テーブル席で学生さんが4人、楽しそうにお喋りしながらラーメンを待っていました。
なんとなく見ていると、1人の分だけ先に運ばれてきて、だけどその子が他の人を待って食べ始めないでいたら、「麺のびちゃうから待ってないで食べなさいよ!もうすぐ他のも持っていくから!」と声をかけるお母さん。
その子は「はーい!んじゃお先にっ!」と食べ始めました。
私は、お母さんのいうことはもっともだと思うし、そのやりとりを微笑ましいなーと好意的に見ていたんだけど、これを不快に思う人もいますよね。
「食べるタイミングはお客さんの自由。口うるさい店員。」みたいに感じる人もいると思うんですよ。
それがね、悪いことだとは思わなくて、同じ条件でも、タイミングとか、言い方とか、その時の感情によっては不快に感じるかもしれないし。
同じことでも誰に言われるかで違うことってあるじゃないですか。 やーね。
ただその時、ふと「最近、こういう会話って聞かなくなったなー」と思って。
近所の食堂って、町の小さな食堂って、別に高級レストランのような特別に美味しいものはないんだけど、親とは別の、でもまったくの他人よりはすこしだけ親身になってくれるような 馴染みのおじちゃんやおばちゃんとかがいて、 これまた馴染みの味がウリだった気がしていたんですよね。
近所の駄菓子屋さんとか八百屋さんも同じ感じで。
だから、味とは別の存在意義が確かにあったんですよ。もちろん美味しいと思って食べてはいるんだけどね。
今は、短時間でどこにでも行けるようになったし、知らないお店でも事前にリサーチしてから行くことが出来るようになりましたね。
特に初めて行く土地では、私自身、口コミサイトを参考にすることが多々あります。 実際、助かっています。
でも一方で、記憶に残るお店ってどれくらいあるだろうかと考えたりもします。
記憶に残る飲食店って
美味しいお店はいっぱいあります。本当に、美味しいものが食べられるのって幸せです。
一方で、「美味しい」以外の感情がこみ上げてくるお店があります。
「あそこは先輩がよく連れてってくれたなー」
「ここは昔付き合ってた人とよく来たな」
「あの店はいついっても誰かしら知り合いがいたなー」
「あそこのおばちゃんクセ強くて面白かったなー」
「あそこオーダーしても勝手にオススメばっか出してくるんだよなー」
「まじでストレスで死にそうな時ここばっか来てたな(笑)」
正直、こーゆーお店より、料理が美味しいお店はざらにあります。笑
でも、無くなったら寂しい。猛烈に。
味以外のなにかを求めてお店に足を運びたくなることだっていっぱいあります。
それぞれのオアシス
昔、東京に住んでいたころ、1人で飲み歩くのが楽しかった時期があって、その頃に、口コミサイトの評価が高いけど、ものすごく渋くて古~い店構えの飲み屋に入ったことがあります。
入ってみると、それはもう渋いオブ渋い!バリ渋!!
いったいこの町のどこにいらっしゃったんですかと聞きたいくらい「現場感」に溢れた、着込まれた作業服を着たおっちゃんたちが、何をしゃべるでもなく、音量小さめの店のブラウン管テレビを、面白いのかつまんないかもわからない顔して眺めながらお酒を飲んでいらっしゃる。
怖いもの知らずだった当事の私でさえ、「場違いだ…」と思いながらも、入ったからには後に引けず(笑)、一杯だけ飲んで店を出ました。
お店のお母さんは特別愛想がいいわけではないけど、身の程知らずの私にも親切にしてくれました。
いい意味で、誰に対しても同じ接客。
確かにお通しはとても美味しかった。だから美味しいお店なんだと思います。
でも、何よりも、そのお店は、洒落込んだピカピカのお店が立ち並ぶ都心で、汗水たらして、服を汚しながら働いている人たちのオアシスなのだとわかりました。
だから、この店について「店が汚かった」「雰囲気がよくなかった」「愛想がなかった」とかいうのは、なんというか無粋な話なんですよ。野暮です、ヤボ。
「どうしてそのお店が積み重ねてきた空気を味わわずに、自分好みにしようとしてるんだ!」って気づかされたんですよね。
もし私がこのお店に星をつけるとしたら、「ぶっちぎり五つ星」です(五つが最高評価だとして)。
でも、私が行くことは二度とないと思います。
それは、「お店の空気を壊したくないから」に尽きます。
飲食店でどう振舞おうと自由ですが、静かで落ち着いたお店でドンチャン騒ぎしたり、なにより安さがウリのお店で料理の質や味付けに文句つけてみたり、「このお店の楽しみ方がちょっとズレてるんじゃ…」と感じることがあります。
お店はお客さんを選びませんが、お店の雰囲気がお客さんを選んでいることはあると思います。
だから、激渋なお店にわたしはマッチしない。私には居心地はよくない。でもあのお店はお客さんにとても愛されている。
だから、名店だ。
私はきっと一生あそこに合うお客さんにはなれないけど、あのお店もお客さんもめちゃくちゃかっこよかった。
憧れました。
口コミを書くとき・読むとき
人によって、行きやすいお店、落ち着かないお店、それぞれあると思います。
だから、合わないお店があるのも当然。
でも、あなたが気に入らなかったお店を、オアシスにしているお客さんだっています。
あなたが気に入らないところを気に入って来ているお客さんもいます。
気に入っているお客さんは、星の数がいくつだろうと、周りがなんと言おうと足しげく通うでしょう。
じゃあ初めての人は?
やっぱり人間、どちらかと言えば評価が高いほうに行きたいってなりますよね。笑
だから、低評価されているお店は新規のお客さんに選ばれにくくなってしまいます。
もちろん口コミに何を書くのも自由です。
でも「そこを気に入って、大切にしているお客さんが必ずいる」ってことをぜひ忘れないでほしいです。
そして、口コミは大いに参考にするべきですが、まるまる鵜呑みにしていたら、本当は自分にとってはとてもステキなお店かもしれないお店を、見逃してしまっているかもしれませんよ?
どうか、あなたにぴったりのステキなお店に出会えますように!
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