毎日、ゆるやかな憂鬱に襲われる時。
あー今日なに作ろう。献立が浮かばない。
なに食べようではなく、なに作ろう、だから難しい。
お寿司、焼き肉、嘘みたいに山盛りのサラダ、中本の北極ラーメン、ココイチのカレー。
食べたい、だけなら、いくらでも浮かぶ。
なのに、作るとなると、どうしてこうも違ってくるのか。
そりゃあなんだっていい。とはいえ、家にある食材は使いきりたい。
サボりたい時に限って、レトルトが無かったりする。とんでもない失態だ。
クックパッドを開いても、もう選ぶのが面倒。
ざっくりとしたイメージだけでもとインスタを開けば、「年に1回しか晩ごはん作らない人たちなの?」と思いたくなるくらい、見映えよく美味しそうで凝った料理。
私の心は、下手な乙女心より複雑らしく、頭では「納豆ごはんにお味噌汁で十分じゃないの!」と思いながらも、「テンション上がらないごはんはなんだかな~」なんて贅沢を言ってきたりする。
もちろん、私1人なら、そんなごはんばっかりだ。
納豆ごはん、漬物ごはん、お茶漬け、冷凍うどん、時には醤油と七味だけのパスタ(でも美味しいよ)など。
でも、自分以外が食べるとなると、少しでも「わ!美味しそう!」とか「なんかご馳走!」って思ってほしいと欲張ってしまう。
実際のところは、そんな豪華なものなんて作ってないけど、それでも、飽きがこないように、食材がかぶりすぎないようにと気を付けるだけでも、これが案外難しいのだ。
各ご家庭の料理担当にはよくある話だろうけど、これは非常に根深い問題なのだ。
とはいえ、じゃあナメック星人のように、主食は水だけあればいいみたいな生き物だったからよかったんだろうか。
いや、そしたら確かに超絶ラクだし、食事に関係する時間も大幅カットできる。
そうだ、人間は、かなりの雑食で、わりと何でも食べられてしまううえに、味付けすることまで覚えてしまったからこんなに迷うんだ。
なのに、高コレステロールとか、塩分過多とか、糖質過多とかで悩んだりして、おばかさんじゃないの。
水だけだったら、はるかに燃費がよかったのに。
「そんなの物足りないし、味気なくてつまんないよ」って思う?
でも案外、最初から知らなきゃ食べなくて平気なもんだよ?
私、生のマンゴーがアレルギーで、小さい頃に食べて発症してから20代半ばまで、マンゴー関係は一切口にしてなくて。
タピオカのように、空前のマンゴーブームになった時も、食べてなくて。
でも、味を覚えてないから、食べられなくて残念とか悔しいって気持ちもまったくなかった。
それがフィリピンに滞在してた頃、思い切ってマンゴーにトライしてみたら、相変わらず蕁麻疹が出たんだけど、美味しくてびっくり!!
そこからは、マンゴーが好きになってしまったよ。
知らなきゃよかったのに、知ってしまったんだ。
だから、水だけで生きられるんだったら、それはそれで結構楽しく生きていられたかもしれない。
ま、でももうムリね。水以外も知ってしまった人間だもの。
よし、決めた、今日はスンドゥブにしよう。
辛味噌スープに具材ぶちこんで、キムチ乗っけてグツグツ煮たら、それはもう私のなかではスンドゥブです。
さ、今日もあきらめて料理しよ。
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