ポエムで何が悪い

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昔から、感じたことや思ったことを言葉にしてまとめることが好きだった。
出来事をベースとした日記のような形になったり、ギャグ要素を散らしてみたり、エッセイ調になったり、そしてポエムのようになったり。


多感だった中学生の頃なんかは、メロディーもないのにリズムだけで歌詞を作ってみたこともある。
高校生になるとインターネットでブログを書くことを覚え、日々の雑記を、誰に求められるでもなくほぼ毎日書いていた。

大学生になると朝から夜から遊んでいたけれど、何かある度に自分の記録もかねて文章にまとめていた。
当時は、mixiが全盛期でしたね。

3.11の震災当時、私は東京にいたけれど、地元が被災地だったため、被災地の実情と、被災者以外がとるべき連絡手段(当時はネット通話が普及しつつあったかなくらいの時代)をネットに書いたら、いつの間にかその記事に『被災地からの手紙』とかいうタイトルを付けられて有名人の方々にもめちゃくちゃ拡散された。

(被災地じゃなくめっちゃ東京からなんだけどな…)と思いつつも、自分が仲間内に伝えようと書いたことが日本中に拡散され、今みたいに「バズっちゃった!」って流れもまだなかったから、ネットの影響力に感動というよりは戸惑いの方が大きかった気がする。

とかいいつつ今も、書くことをやめられずに、細く長く生きている。

そんなこんなでとにかく表現方法はごっちゃだったけど、私はいつも感情や出来事を文字にすることで、気持ちを整理したり、落ち着かせたりしていたんだと思う。

おいおい、つまんねーなー!どうした!


このブログを開設した時、「なにかテーマを持っていた方がいいかもしれない」と思ったので、自分がいちばん興味があって日々のものとして考えられる食べ物をテーマに掲げたけど、約3年経って、わかったことがある。

「のびのび書けない。自分で自分の文章がつまらない。」

いやー完全に致命的だよね。笑
別に抱腹絶倒の面白い文章にしようと思っているわけでもないけど、書いた本人ですらつまらないと思うのはいただけない。

それでもあきらめ悪く、食べ物というジャンルに固執していたのは、1つのジャンルに特化したいという思いからだった。
必要とされたのはひたすらに話題の模索で、いろんな角度から、右往左往しながら、どっか道はないかと考えていた。

で、結果、無かった。

だからもう、縛るのはヤメだ。いよいよ、野放しにしよう。

束縛されることが誰よりも苦手な人間なくせに、まさかの自分が自分を縛り付けていた。

どーりで楽しくないわけだ。ね、もう認めよう。

あの人は覚えていないだろうけど


実は、過去の体験で、書くことに対して今でも忘れられない言葉がある。

私は先にも書いたように、昔からいろんな媒体でブログを書いていたし、ちょいとセンチメンタルな時などは、ポエム調になることも多かった。

もちろん詩的な響きを意識して、努めて美しい言葉を選んで書いたものもあるし、真っ昼間であろうが、真夜中のラブレターみたいなテンションで気持ちを表現することもあった。

ある時、友人たち数人と話していると、私のブログの話題になった。
そのうちの一人が、「ああ、あのポエムみたいなヤツでしょ?」と笑いながら言った。
それを聞いた別の人は、不思議そうな顔で「え?ああ、まあ確かにそういう時もあるかもね」と言った。

――――――「ああ、あのポエムみたいなヤツでしょ?」

自分でも、ポエム調に書いていることもあったのは自覚していたので、その内容に関しては別になんとも思わなかったけど、言い方に、笑い方に、明らかにちょっとバカにしている気持ちが含まれていることを感じて、ショックだった。

あの頃は、まだ19とか20歳頃で、若かったのだ。
いろんなことで落ち込むことや傷つくことも今よりたくさんあった。
そして、この言葉も、当時の私を落ち込ませた。

その時は、平気なフリして過ごしたけれど、たぶんそこから、ちょっと書くことに対して変な意識をするようになったのかもしれない。
いや、嘘ついた。
今も覚えているくらいだから、確実に意識していたんだ。

とはいえ、立ち直りの速さも私の長所なので、その出来事に対してはすぐに自分の中でかみ砕いて消化できた。
いや、また嘘ついた。
消化できる自信がなかったから、忘れることにした。フタをした。

そんなことがあっても、書くこと自体はしんどくならなかったし、たまにポエムることも表現のひとつとして捨てることはなかった。

でも、この時の出来事を、どんな形でも、これまで公にすることはなかった。

すぐに書き起こせば、たぶん悪気無く言った(あったかもしれないけど)その人にダイレクトに反論するような形になるだろうし、一緒にいた人たちも、「あの時のことだ」と思うかもしれない。

書くことが特定の誰かへの攻撃になりたくはなかった。

だから、私は、自分の中に生まれた考えをずっとしまいこんできた。
そして10年が過ぎて、もうあの頃居合わせた誰ひとりとして、あの時のことを覚えていないと思うから、今、改めてここに書こうと思う。

10年も温めていたなんて、執念深いようだけど、そんな深い恨みなんてない。
まったく。そんな体力がないんだよ。笑

だけど、いま、10年前より多くの人が発信できる時代になり、批判されたり、嫌味を言われたりする機会が増えてしまっている現状で、もし似たように誰かにバカにされている人がいたなら、1つの考えとして読んでもらえればと思う。

ポエムで何が悪い


「ああ、あのポエムみたいなヤツでしょ?」

確かにあの時は傷ついた。バカにされた。笑われた。恥ずかしかった。

でも、それからしばらくのうちに、傷んだ心を慰めるために、引きずらないために、自分を守るために、私は一つの考えに至った。

「ポエムで何が悪い」

――――― そう、大逆ギレである。大開き直りとも言える。

だけど、いたって大真面目。何が悪いんだろう?別にいいじゃん。

あの頃、「ポエム」ってちょっと「イタい」表現だった。いや、今もどこかそんなニュアンスはあるかな。

正直いうと、矛盾してるようなんだけど、私の中でも詩とポエムの間には大きな線引きがしてあった。

"「詩的」に文章を書くことはあっても「ポエム(笑)」に書いたことはない"って。

だから、自分が詩的と思っていたものが、ポエムだと言われて「違うのに!」とショックを受けたって部分もあったと思う。

でも、本当に今思えば実にアホらしい話なのだ。

バカ野郎、他の人からすれば詩もポエムも同じだよ残念でしたー!ドンマーイ!!!

でも、いずれにせよ、全然恥ずかしくないわ。

「ポエムで何が悪い」あの時も、そして今も、相変わらずそう思っている。

だって、世の中にある多くの美しい詩に触れることも無く、そして思わず詩をよみたくなるような出来事もなく、感情を文と文の余白にゆだねたくなるような迷いもない人生なら、私はいらない。

この先も誰かにバカにされたって、何かや誰かに想いを馳せて、言葉を重ねて、丁寧に並べて、詩をよむことができる人生を選ぶ。

「自分に酔っている」と言われようが、泥酔できるくらいの自分でありたいし、「ナルシスト」と言われても、自分大好きって言える自分でありたい。

もっと、詩とか音楽とか、絵とか、美しいものの美しさを楽しみたいし、美味しいものを味わいたいし、やりたいことはやってみたいし、自分なりに表現したいことはいろんな形でしていきたい。

だから、あの時のあの瞬間、言えなかったことをしつこいけれど、も一度言わせて。

「ポエムで何が悪い」

10年が経って、ようやく言葉になり、私の中から外へ出て行ったかつてのわだかまり。

バイバイ!

ただ楽しかった10代の第一章、思い切り書きたいことが書けなくなった20代の第二章。

そして30代を迎え、最も泥臭く手当たり次第なフリースタイル第三章、開幕です。

ずっと、いまが一番いいな。

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