『戦争は女の顔をしていない』じゃあ誰の顔をしているんだろう?

どういうことだろう?顔?ん?
そのスムーズに理解できないタイトルに引かれて、Twitterに流れてきた最新話と思われる漫画を読んだ。

後から気づいたら、私は17話から読み始めたようで、それが続きものなのか、オムニバスなのか、はたまたどんな構成でどんな漫画なのか、それだけではよくわからなかった。

でも、なにかザワつく。心がじっとりと、ザラリザラリとしている。

たぶん、何かある。

とりあえず、他の話も読んでみよう。

ああ、そうか、戦争の話か。そしてこれは第二次世界大戦中のソ連の話なのか。

ソ連といえば、シベリア抑留のイメージはあるけれど、これは被害者的立場からの見方が強いからなあ。

なんて、ぼんやり思っていた。

.

この漫画に登場するのは、主に女性だ。ものがたりの主役は数多くの女性。

しかも、すべて衛生兵などで戦地で、全線で戦ってきた人ばかり。

日本では、男は戦場へ、女子供年寄りは家に残って地域を守るみたいなイメージが強いからピンとこなかったのだけれど、ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍したという。

日本でもひめゆり学徒隊のように、救護班として多くの女性が戦地に赴いたけれど、ソ連では、実際に銃を携えて敵兵を撃ったり、戦闘機に乗っていたらしい。そうなのか。

そしてこの漫画は、彼女たちの体験談を残した書籍『戦争は女の顔をしていない』をもとに作られたということも知った。

.

衝撃だった。

彼女たちが語るのは、戦争の悲惨さじゃない。恐ろしさじゃない。

下着が無くて、男性用の下着を履いていた。
洗うこともできないから長い髪を泣きながら切り落とした。
夜中にこっそり、鏡の前でだけ隠していたハイヒールを履くのが楽しみだった。

生理が来てもどうすることもできなくて、男性がいようがズボンから血を垂らしながら行軍した。
血の染みたズボンは硬くなり、それがまた皮膚にこすれ、切れた肌からも血が出ていた。
汚れたズボンを洗いたくて、隠れる男たちを後に、女たちは爆撃もかまわず川に駆け出し、何人かは撃たれて死んだ。

国のために戦ったのに、兵士をした女なんか結婚したくないと言われた。
戦争が終わっても、人々は戦場から還った女を受け入れてくれはしなかった。

次々と語られるエピソードは、10代から20代前半の、乙女たちの青春時代。

その非日常で非現実的な内容は、直接語らずとも、戦争の悲惨さをビシビシとぶつけてきた。

特に、生理のエピソードは、想像しただけでもめまいがしそうなくらいだ。

身体的な苦痛はもちろん、時代背景と思春期ともいえる彼女たちを思えば、精神的な苦痛は計り知れない。

とはいえ、他にも戦争の悲惨で残酷なエピソードも多くある。

でも、同性だからなのか、どうしても、女性としての苦しんだエピソードの印象が強く残ってしまった。

.

ただ、もっと恐ろしいと思ったのは、そんな彼女たちも、はじめは”自ら望んで”戦場に赴くことを志願したということだ。

招集されたからではない、自ら、「私も兵士になりたい」「前線で戦いたい」という思いがあって志願しているのだ。

念のため言うけれど、こういう彼女たちの思いを侮辱するつもりではない。

男女限らず、それは日本でも、ほかの国でも「国や愛するもののために戦いたい」という思いはあったし、それは誰も否定することではない。

ただ、私が恐ろしいのは「教育」だ。

どの国でも、「愛国心」の名のもとに、国のためなら命を捧げるべきだという思想を教え込まれていた。

誰も疑わなかったし、それが当たり前だった。誇らしいことだった。

それが教育だ。

ここでも一応言っておくけれど、私は、愛国者を否定するつもりも、教育を洗脳と呼びたいわけでもない。

ただ、「教育」にはそれだけの力があるのだ。

それが正義だと信じて、誇りを持って飛び込んだ世界が、戦場だったのだ。

こんな悲しいことがあるんだろうか。体や心を壊してまで、守り抜くものは何だったんだろう。

.

『戦争は女の顔をしていない』

日本だってそうだ。

戦争は、男女も老いも若いも関係なく、誰もが必死に、耐えて、頑張って、戦って、苦しんだのに、確かに「男」の顔をしている。

英雄は、将校は、伝説は、武勇伝は、いつだって男の人。

…いや、うーん。それも違う。

戦争は、まるでのっぺらぼうだ。

そこに人がいたのに、たくさんの人がいたのに、誰もいないような顔をしている。

誰もが避けられなかったのに、誰もが苦しんだのに、誰もが忘れたくて、箱だけが残っているような。

本当は、中身があるのに。たくさんの人の顔があるのに。

だから、よく目の見えない人たちが、戦争の箱の隙間を埋めようとして、またバカげたゲームを始めたがったりする。

よく知らない人たちが、勝手に美談に仕立てたものを詰め込もうとする。

いまを生きる私たちは、過去の箱に、きちんと顔を見つけて、老若男女の顔でギチギチに埋め尽くして、しっかり弔う必要があるんじゃないだろうか。

.

Twitterでは、無料で公開しているので、興味がある人は、いや、なくても是非に、読んでほしい。

もっと過去から学ばなければいけないよね。

人間は繰り返すし、間違うし、愚かな生き物だけど、それでも、あきらめないで過去から学んで変えていこうとしていたい。

国を越えて、時代を越えて、彼女たちに敬意を。

.

コメント

タイトルとURLをコピーしました