「辛いのはみんな同じだから我慢しなきゃいけない」って、そんなの意味ないと思うんだよね。【大人の仕事とは?】

新型コロナウイルスが私たちの生活スタイルを大きく変えてから約一年が経つ。

この一年で、特に何も変化がなかったと感じる人もいれば、大きな変化を強いられた人も多くいる。

でも、揺らぎはあったもののテレワークで業務をこなしている会社も増えたし、これを機に地方へ移住する人も増えているとかいないとか。

子どもたちも、保育園から高校まで、さまざまなイベントや式典が中止になりながらも通学(通園)している。

だけど、大学は一部対面授業や通学が行われ始めているようだけど、まだまだ制限されていることも多く、部活やサークル活動もほとんどないようだ。

そんななか、ある日こんな記事が流れ着いた。

「一人暮らしの家でガリガリに」「鬱でSNSをアラビア文字に…」  現役大学生が綴るコロナ禍1年間の現実 #新型コロナ #自粛

大学生が実体験や、周りの友人の体験談などを元にして書いた記事。

まず筆者は、春休みを利用して留学に出ていたが、コロナウイルスの流行により緊急帰国、そこから大学もオンライン授業に切り替わり、アルバイトしていた飲食店も辞めることになった。

オンライン授業になったとはいえ、Zoomに一番苦戦するのは教授だ。容易に想像できる。
私の大学時代の教授の顔を覚えている限り浮かべて、そのなかでオンラインにもすぐ対応できそうな教授は…限りなく少ない。
なんならパワポすら使わず、板書命の人も珍しくなかった。

事実、筆者も不慣れなオンライン授業で、通信が切れたりトラブルが起きたりで、とてもまともな授業ではなかったという。

また、筆者の友人は、長引く自粛生活の中、張り合いのないオンライン授業に、楽しみのない日常、さまざまなストレスでやる気と食欲を失くし、みるみる痩せていった。
結局、その友人は、休学することにした。

また別の友人は、付き合っていた彼氏が不安定な現状と将来への不安から、怪しいマルチ商法に手を出してしまったという。
その彼は、大学を中退し、連絡がつかず行方不明になったとか。

――――うん、しんどいね。しんどい。すげー苦しくなる。苦しい。
特に地方出身で一人暮らしの大学生は、感染予防から、実家に帰ることもためらわれるし。
こういう人、きっといっぱいいるんだろうな。しんどいよな。

と思って、読んだんだ。

それで、いつもはほとんどコメント欄なんてみないんだけど、他にも体験談とかあるのかなと思って、コメント欄を見てみた。

そしたら、もっとしんどい世の中がそこにあった。

  • マルチにハマった友達の彼氏はコロナ関係なしにクズだから(笑)
  • この人は上京出来ず地元の大学しか行けない人、留学したくても留学出来ない人に比べたらマシだろう。
  • 緊急事態宣言前だからって3月に留学を決行したと筆者がいってる時点で全く共感できない。あげくロックダウンされそうになって緊急帰国とか、そういう行動は自分でどう思うのか?自分たちの都合いいように記事にするのはやめたら
  • だから?辛いのは皆おなじですよね。
  • この記事を読む限り甘ったれてるなぁという感想しか持たなかった。
  • 全部コロナは言い訳。大学続けてくれなんて誰も頼んでない。辞めたきゃやめればいいし、自分で決めたこと。

 

しんどい。悲しさと怒りがこんがらかるような気持ちになる。

もちろん、こういうコメントがすべてではないし、現役大学生からのコメントも寄せられていたけれど、どうしてもこっちに目が行ってしまった。

ああ、負のパワーって重くて強い

大学生でもない、いい大人の私でさえ、辛辣なコメントに心がもっていかれそうになる。

とはいえ、言論は自由なので、コメント主の意見はそれはそれであっていいものだと思う。
そしてそのうえで、私も自由に発言しちゃおっと。

比較は無意味!人間は弱い!

 

そもそも、「○○な人よりマシ」って無意味オブ無意味!!!!
辛さや痛みの尺度は人それぞれ。そして仮に比較できるとしてもそれは第三者だから。
当人の痛みは、当人が感じる分だけしっかり痛い。

そもそもこういう発言をする人は、日頃からこういう考え方で自分を慰めているんだろうと思うのね。
それはそれで、自己防衛策だろうし、誰かと比べて痛みがマシになるならそれも生き方。

でも世の中には、自分の痛みをしっかり受け止めて、痛がって、耐えて、乗り越えている人もいると思うんだ。
だから、「○○な人よりマシ」って考えられる人ならもうとっくにそう考えて、マシと思える暮らしにしているだろうよ。

それが出来ない人もいるし、出来なくてもいい。
出来ない人はその分苦しいけど、誰とも比較することなく、自分のものさしをよりクリアにしていけると思うよ。

「もともとクズ」とか「甘ったれている」とか、それもなあ。

私は、人間って、性格とかタイプとかの大きなカテゴリーには分類できるかもしれないけど、基本的には多重人格的でゆらぎのある生き物だと思っているのね。

いつも明るく笑っている人も、大泣きすることもあれば、ぶちギレることもあるわけで。
人って一枚岩じゃないからこそ、めんどくさいし、面白い。

だから、マルチにハマる人がもともとクズなのかって聞かれたら、私は全力で「NO」だなあ。

そもそも人間、弱っている時って判断力がすごく鈍くなると思う。
たとえば、思いがけないミスでパニックになって、修正しようとしたらもっとミスしちゃった!みたいなことない?

自信を無くしたり、焦ったり、不安になったり、とにかくなんか落ち着かない時って、普段ならやらないようなことしちゃったりして。
ホント、後から思えば不思議なんだけど。

恋愛でも、「狙っているが恋愛で悩んでいたら、親身に相談に乗ってあげるとチャンスが来るかも!?」ってのが常套手段であるけど、人間、弱っている時に親切にされたり、プレッシャーかけられたり、グイグイ引っ張られると、そっちに流れちゃうもんだと思うんだわ。

甘ったれているんじゃなくて、甘えたくなるんだよ。誰かの優しさとか、パワーに。すがりたくなる。
とくに、周りに引き留めてくれる人がいない、ひとりの状況ならなおさらね。

そんで世の中は、弱っている人、生活に苦しんでいる人がゴリゴリ狙われやすい。

悪徳商法も、いかがわしい宗教も、空からぴゅーっと滑空してくる猛禽類のように優雅にやってきて、わけもわからない一瞬のうちに捕まえられて、食べられてしまう。

でも、捕まえられているうちは、自分も一緒に空を飛べているような気持ちになれちゃうんだよね。

だから変な話、人間弱っていると、悪だろうがなんだろうが、強い光を放つものに憧れてしまう。
強く、ギラギラしたパワーにあやかりたくて、頼りたくて、希望を見出したくて、つい手を伸ばしてしまう。

始まりなんてそんなものだと思う。
だから、クズだとかは関係なくて、誰にでも起こりうることだと思うんだよね。

「辛いのはみんな同じだから」って大っ嫌い!!


人それぞれ、苦手な言葉、聞きたくない言葉ってあると思うけど、あたしゃそれが「辛いのはあなただけじゃない。みんな同じなんだから我慢しなさい」系の言葉なんだ!!!

もちろん、大なり小なり時と場合によることもたくさんある。
でもね、自分も辛くて、みんなも辛くて、それでもみんな一緒だからって口をつぐんで、我慢して耐えて、その先に幸せはあるのかい?

辛いなら、ツライ。大変なら大変。悲しいなら、悲しい。嫌なら、嫌!

言えるなら、言っていいと思う。言ってラクになることも大いにある。
みんなツライなら、みんなで言えばいい。

「私はこれがツライ」「僕はこれがしんどい」「もう限界」

口にしたからといって、すぐにどうこうなるとは限らないけど、少なくとも黙っているより誰かに伝わる。
もしかしたら、どこかに解決の糸口を見つけられるかもしれない。ヒントを持っている人同士で助け合えるかもしれない。

「みんな大変なんだからあなたも我慢しなさい」ってまじで何も生まないと思う。
誰もなにも言わなかったら、「みんなも大変なんだ」ってことすら感じられないんだし。

誰も助けてくれないかもしれない。状況は変わらないかもしれない。
それでも、口にしていい。声に出していい。記事にしてもいい。

発信すること。
SOSは、出さないと気付いてもらえないんだよ。

SOSを後悔させるような世界じゃダメだ

 

私は割と今が一番楽しいと思っている人間なので、「もし人生やり直せるなら」の質問で、特に戻りたい時はないんだけど、もし過去どこかを選ばなきゃならないとしたら間違いなく❝大学時代❞なんだよね。

本当に本当にあの時代は、私の世界をぐっと広げてくれたし、多くの価値観に出会えた学びの時代だった。
今でも日々学ぶことは多いけど、密度と吸収力と集中力が桁違いだった。

でも、大学生ってまだまだ子どもだと思う。

社会人ではないけどアルバイトは出来て、学生生活の中で未成年から成人になる。
大人と子供のあいだ、どちらにも属せて、完全にどちらかではないマージナルマン。

高校の延長みたいな人付き合いしながら、バイトやイベント、インターンなどで大人や社会と関わり始める。

すごくあいまいな立場で、体つきは大人に見えても、とても揺らぎの多い不安定な存在だと思う。

だから、「自己責任だよ」「甘えてるよ」みたいなのは正論なのかもしれないし、彼らが身につけなくてはいけないスキルではあると思うんだけど、まだまだ出来ない人もいるんだよ。全然。
ものすごく大人びた落ち着きのある人もいれば、中学生かよって言いたくなるほど子供っぽい人もいる。

だから、大人は、もし「もうちょっとしっかりしようぜ」って思う準大人みたいな子どもに出会ったら、そのハウツーを教えてやれるようになりたいもんだよね。

言葉で切り捨てて突き放すのは簡単だけど、それって、受け止める器に自信が無いからだよね。

とはいえ正直わたしも自信ない。
でも、彼らが彼女たちが大変なのは、わかった。わかっているよ。知っているからね。
それだけでごめん。でも、よく頑張っていること、知っているから。

もう書きながらも矛盾していたり、わけわかんなかったりするかもと思いながらも、殴るように書いてしまった。

でも、こんなんじゃダメだ。コメント欄にこんな世界を広げてちゃダメだ。

誰が何を訴えてもいいと思う。
でもそれが、どんな形であれSOSだったとしたら、SOSを取り下げさせるような、助けを求めたことを後悔させるような世界をコメント欄で見せつけているようじゃダメだ。

SOSがちゃんと響く社会にしたい。

どうしたらいいんだろう?これは、国や政治家ではなく、大人の仕事だと思う。

 

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