「好き」が自分を未来に連れていく

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梅雨に入ったのか、入っているのか、いまいちよくわからないまま、「ああ、今日は晴れた」「ああ、今日は雨か」と思いながら過ごしているこの頃。

夏は好きだけど、日増しに強くなる紫外線には気を付けなきゃならない。と思う。

最近は、もう着物を着るのにもすっかり慣れて、近所の買い物も行けるくらい自分の中では当たり前になったんだけど、いかんせん田舎なので、目立つ目立つ。

田舎の方が、昔ながらに着物暮らしをしている人が多いイメージをもつ人もいるかもしれないけど、むしろ逆。

すっかり車社会だし、着物を着るイベントも多くないし、それからハレとケの意識がめちゃくちゃ高い人が多い印象で、とにかく「着物は特別なもの」の意識は大都市に比べると圧倒的に高いと思う。

単純な話、茶道など着物に関する教室が多ければお茶会のイベントも増えるし、浅草や京都を代表するように着物が似合う街並みや観光地、着物が映えるスポットがあればもっと着物の人を見かける機会が増えるし、着やすい環境にもなる。

とにかく田舎というのは和服だろうが洋服だろうが、ちょっと目立つような格好をするだけで、指をさされたりヒソヒソ言われるもんだ。
それは、いい悪いを超えて、もうそういうもんなのだ。

昔から、派手なもの、色、柄が大好きなので、洋服を着ていても目立つ、というか浮いていたので、今さら着物を着て、人目を引いてヒソヒソ言われること、ジロジロみられることはなんでもない。

ただし、派手な格好が好きなだけで、決して目立ちたがり屋ではないので、注目されることは快感でも何でもない。
なんなら不快。正直なところ。

でも、好きな格好をしたいから、それに耐えるしかないとやってきた私は、今ではすっかり『浮き』のセミプロくらいにはなったので、ジロジロヒソヒソされても、「まあご自由にどうぞ」くらいの境地には立っている。

所詮、服だぞ。

結局誰もが、布をまとっているだけで、それがどんな色でどんな柄だろうが、微々たる違いじゃねえかと思っている。
もちろんファッションへのリスペクトはまた別次元の話としてあるけどね。

そうして表では堂々としながらも、内側では「見ないで~!涙」と思っているのにもかかわらず、ド目立つ着物を着ているのだから、それくらいの情熱はあるんだと思う。

「好きだ」という気持ち。

矛盾が矛盾を呼ぶような話の展開だけど、恥ずかしいとか嫌だなという気持ちを乗り越えてでも、「これが着たい」「こういう格好がしたい」と思えるパッションが自分にあることが嬉しいし、誇らしい。

「好きだ」という思いは大きな力を持っている。

嫌なこともしんどいことも超えていける力がある。

それは、仕事でも趣味でも恋愛でも、どんなところでどう作用するかはまったくわからないけれど、「好き」の力がある人は強い。

変な例えかもしれないけど、『オタク』と呼ばれるくらい好きなものがある人は生命力が強い。

アイドルでも二次元でも、車でもなんでも、「好き」が止まらない人は、常に何かを追いかける力を持っていて、注ぎ込むエネルギーに溢れている。

それはある意味、生きる希望で、たとえばどんなに嫌なことがあっても、仕事がしんどくても「2カ月先に推しのライブに行ける」と思ったら、無の境地に至ってでも2カ月生きようと思えるから。

別に私は「死にたい」と思っているわけではないけれど、それでも
「夏になったら浴衣いっぱい着たいな~」
「でもこの袷も着たいから早く秋冬になってほしい気持ちもあるな~」
「もし出会いがあったらこんなのが欲しいな~」
と、「こうしたい」「ああしたい」という近い未来への希望や期待で溢れているから、死にたがっている場合ではないのだ。

とにかく「次の季節も楽しまなきゃ!」という謎の使命感に溢れてしまう。

だから、人の目なんて気にしている方が死んでしまうのだ。

とはいえ別に、「好き」は全面に出す必要もない。

自分だけの楽しみとして、誰も知らない趣味として楽しめるものならそれでいい。

だけど「好き」という気持ちは、常に自分を生かし、未来へ導く力を持っているものだから、その気持ちだけには正直でいた方がいい。

別に一途に同じことじゃなくていいし、コロコロ「好き」なものが変わったっていい。

でも、自分がなにを「好き」なのかを自覚できることは、そしてその好きに触れられる環境にいられるとしたら、もうそれは最高に最強にしあわせなことだと思う。

 

 

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