「名もなき飯」を味方につけて。

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SNSとか雑誌とか、いたるところに「ていねいに」暮らしている人がいるけど、どういうわけか私に至ってはそのように暮らせない。

大ざっぱ。テキトー。がざつ。

写真に残したくなるような暮らしには憧れるけど、実際のところ、写真どころか記憶にすら残らない暮らしぶりである。

いや、正直どうなのとは思いますよ、思います。めっちゃ思うよ。

でも、ていねいにやろうとしたら時間も気力も体力も足りないんよ。

たとえば、1日のなかで1つだけでもていねいにしてみるじゃん?
それはどうにか達成できたとしてよ?
そこで疲れっ切って、あとに残されたミッションぜんぶ雑になるからね。
なんなら放棄するからね。あばよ!!!!

だから、「ていねいな暮らし」などは、私の世界の時間軸の話ではないと早々に諦めている次第であります。

別にいいんです。いい塩梅の暮らしで。まあ羨ましがられはしないでしょうが、最高です。

というわけで、たとえば自分のためだけに作る食事なんかは、写真どころか家族にも見せるのが気まずいくらいテキトーです。

今日のひとりごはんは、小鍋に、白菜と炊飯器にちょこっと残ったご飯と鰹節を、それはそれは見事なほどの目分量で投入し、めんつゆをジャっと入れて味付けしただけの雑炊とも呼べないような、名もなき飯。

特別おいしくもないけど、高度文明の産物「めんつゆ」任せの味は決して失敗しない。

でも、これは人に出せない。出したくない。出す価値もない。

いや、そこまで言うほどではないってわかっているけど、自分のなかの料理格付けの、ランク外にあるような食べものに位置付けているんだもん。

たぶん、家族の料理担当の人は、こういう「名もなき飯」というカテゴリーがあるんじゃないだろうか。

冷蔵庫に余っているのとか、賞味期限間近な(正直切れている)ものをとりあえず形にだけしてみました的な料理。
え、料理って呼んでいいの?みたいなやつ。

でも、全然食べられるし、普通に美味しいやつ。

ほんで、あろうことか、ごくまれに「え、自分天才か?神降りた?」みたいなのが出来ちゃったりする。

家族の知らないところで、そういう名もなき飯を食べ、地道な消費と消化をしながら、どうにか生きているんですよ。
全然胸張るつもりじゃないですが。

で、実際これが嫌なのかというと、楽しいんです。
だって食べるのは自分だけだし、失敗も怖くないから、無責任に作れるんだもの。

料理って、献立とか栄養バランスだけじゃなく、無意識のうちに家族みんなが美味しいって思ってもらえるか気になっちゃったりして、本当、こういうのって作り手じゃないと感じられない緊張感だと思うんですよね。

だから、「おいしい」って声が聞こえるほど、達成感というか、報われた感というか…
それだけで嬉しいよ。健気だよ。
でも物も嬉しいよ。どんどんくれよ。

そういう地味で気付かないかもしれないほどのプレッシャーやストレスがあるからこそ、たまに訪れる自分のためだけの無責任な名もなき飯は、全然豪華じゃなくても幸福感があるのだ。

もちろん、作り手の特権ということで、ひとり時間にごちそうとかスイーツとか食べるのもいいと思うよ!
こっそりね!ばれないようにね!
私はしないけどね!まさか!うん、そんなこと絶対しなi(ry

どうか、映え知らずの名もなき飯に支えられてる人が、私の他にもいますように。
そしたら是非、ひとりのお楽しみ飯とか究極ズボラ飯とかを、こっそり共有してみたい。
別に本気で隠すほどの秘密じゃないからこそ、秘密が楽しいこともあるよね。

さて、いい塩梅に暮らしていこう。

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